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千葉医学雑誌一覧
 
千葉医学 80 (1) :1-45, 2004

総説
遺伝子発現解析に基づく癌ゲノム研究の展開
 関 直彦(和文・PDF)
 
原著
腹腔鏡下前立腺全摘除術:初期7例の経験
 市川智彦 小宮 顕 納谷幸男 鈴木啓悦 植田 健 五十嵐辰男 寺地敏郎 伊藤晴夫(和文・PDF)
 
話題
SARSウイルスはどこから来たのか
 白澤 浩(和文・PDF)

クリニカルプロテオミクスをめぐる最近の知見
 野村文夫  朝長 毅(和文・PDF)

21世紀COE(医学系)プログラム
消化器扁平上皮癌の最先端多戦略治療拠点:遺伝子治療と重粒子線治療の遺伝子解析に基づくテーラーメイド化

 丹沢秀樹 辻井博彦 落合武徳(和文・PDF

らいぶらりい
明解傷寒論
鍋谷欣市(和文・PDF)

学会
第1074回千葉医学会例会・第26回千葉大学循環病態医科学・第三内科懇話会(和文・PDF1.2.3.4.5.6.7

編集後記(和文・PDF)

 
   
  遺伝子発現解析に基づく癌ゲノム研究の展開
関 直彦 千葉大学大学院医学研究院機能ゲノム学


 ヒトゲノムプロジェクトの進展により同定されたヒト遺伝子(3万個〜4万個)は,医療や創薬のための重要なカタログである。この成果を受けてゲノム医学の戦略は大きく変わりつつある。つまり21世紀の疾患標的分子の探索は,ゲノム科学的に基盤をなした大規模探索に基づいて行われる。このような背景の中で,マイクロアレイを用いた遺伝子発現プロファイリングは短期間に大量のデータを得られる画期的なテクノロジーである。特に癌研究の分野ではこのテクノロジーを用いた研究が盛んに行われており,癌の標的分子の探索や癌の病態分類・予後予測など成功例の報告も多い。まさしく癌ゲノム医学分野のキーテクノロジーである。此処では癌研究におけるマイクロアレイ解析の位置づけと,我々「機能ゲノム学」におけるマイクロアレイ研究について紹介し,今後の癌ゲノム研究について議論したい。

 
   
  腹腔鏡下前立腺全摘除術:初期7例の経験
市川智彦 小宮 顕 納谷幸男 鈴木啓悦 植田 健 五十嵐辰男 寺地敏郎1) 伊藤晴夫
千葉大学大学院医学研究院遺伝子機能病態学(泌尿器科),1)東海大学医学部外科学系泌尿器科学


 前立腺癌に対する手術療法として,フランスにおいて腹腔鏡下前立腺全摘除術が確立され,日本においても高度先進医療として承認され,実施されている。我々の施設においても,7例に本術式を施行し若干の知見を得たので,その初期成績を報告する。  対象症例は,PSA 15ng/ml以下で発見されたT2以下の,内分泌療法を行っていない前立腺癌患者である。腹腔鏡下前立腺全摘除術について十分説明し,文書による同意が得られた7症例において本手術を行った。  7例中1例において肥満ならびに周囲との癒着により,開放手術に移行した。その他の6例では腹腔鏡下に手術を完遂した。この6例のうち1例において術中尿管損傷を生じたが,腹腔鏡下に修復した。7例の平均手術時間は467分,尿を含む平均出血量は1586mlであった。開放手術に移行した1例を含む2例において自己血の他に同種血輸血も必要とした。術中術後を通じて重篤な合併症はなかった。尿道バルーンカテーテル抜去日の平均は術後16日であった。術後6ヶ月では7例中5例が完全尿禁制となった。  本術式は,手術時間が長いことがやや難点であるが,さらなる症例の経験により従来からの開放手術と同等の手術時間まで短縮すると思われる。モニター上に拡大された良好な視野により確実に手術を施行できるという利点があり,腹腔鏡下前立腺全摘除術は,今後,臓器限局前立腺癌に対する有効な治療法の一つになっていくと考えられた。
 
   
  SARSウイルスはどこから来たのか
白澤 浩  千葉大学大学院医学研究院分子ウイルス学


T.はじめに
 SARS(severe acute respiratory syndrome)ウイルスは,2002年暮れに非定型肺炎のアウトブレイクとして中国広東省に現れた。114日にわたるSARSのパンデミックは29カ国に広がり,8千人以上が感染し,800人以上が死亡した。徹底的な防疫,そして恐らくは夏の到来による気温の上昇の助けもあって,SARSパンデミックは2003年7月に終息したものの,冬の到来に伴う再来が懸念されている。SARSは,インフルエンザ様の症状を主徴として,約4割の感染者に人工呼吸器が必要となる重症肺炎を引き起こし,その致死率は,全体として10%前後であり,老齢者では50%にも及ぶ[1]。  この世界を震撼させた謎のSARSウイルスも,インターネットを駆使した新しいタイプの共同研究と研究者達の努力により,極めて短期間のうちに多くのことが解明された。しかし,この感染症の正確な起源は現時点で未だ不明である。
U.第一波
 SARSの最初と思われる症例は2002年11月16日に広州から約20km離れた佛山で報告されている(図1)。2002年11月17日に,河源出身の深で働いていた料理人が第2例目となったが,この料理人は深で具合が悪くなったものの,より良い病院を求めて河源の病院に入院した。その後,彼の妻,2人の姉妹,7人の医療スタッフが感染した。この料理人は猟獣を珍味食材として使うために,捕獲された動物との接触を持っていたことが分かっている。  河源のアウトブレイク直後に同様の症例が広州から約90q離れた中山で発生し,更に28例の発生が2003年1月20日までにあった。28例中13例が医療関係者であり,患者の家族は感染しなかった [2]。
V.第二波
 2003年1月12日以降,重症患者の一部は広州に搬送された。第二波の中心になったのは,46歳の魚介類を商う男性で,2003年1月31日に広州大学第二附属病院に入院したが,直後に広州大学第三附属病院に搬送された。この男性は,第二附属病院にわずか18時間留まったのみであったが,この間に30名の病院スタッフが感染し,第三附属病院への搬送の際に,救急車の運転手2名,看護師2名,医師2名が感染した。その後,この患者に接触した医療スタッフ,親族計39名がSARSウイルスに感染した。  広州大学第二附属病院で働いていた一人の医師が2月11日に香港に旅行し,香港でのアウトブレイクの中心となり,パンデミックの火種となった[2]。
W.パンデミック
 この広州の医師は香港のホテルの9階に宿泊したが,発病したため,2月22日に病院へ搬送され,翌日に死亡した。この間にホテルの9階および11, 14階の客10人が感染し,SARSウイルスはここからシンガポール,ベトナム,カナダ,米国へと世界中に広がり,飛行機で拡がった初めてのパンデミックウイルスとなった[1]。
X.SARSの病原体ハンティング
 広東省でのアウトブレイク時には,この非定型肺炎の原因はクラミジアであると最初考えられていた[1]。その後,分離されたウイルスの電子顕微鏡像から,パラミキソウイルス科のウイルス(コロナウイルスよりもやや大きめのらせん対称型のエンベロープを持つウイルスで,麻疹ウイルス,ムンプスウイルス等が属する)が疑われたが,最終的に,SARS患者から常に分離される新種のコロナウイルスがヒト同様の病態をサルに引き起こすこと(コッホの原則)が証明され,新種コロナウイルス(SARS-CoV)がSARSの病因であると確定した[3]。病原体究明において,病原体分離(培養)は極めて重要な鍵となるが,SARSウイルス分離には千葉大学医学部細菌学教室で樹立されたVero細胞が活躍したことを付記しておきたい。
Y.コロナウイルスのウイルス学
コロナウイルスという名前は,電子顕微鏡で観察すると,コロナ(corona:花冠)状の形状を呈するウイルスであることからつけられた名前である。このコロナ状の形態は,大きなこん棒状の蛋白(spike protein, 図2)に由来する。多くのウイルスは,正20面体対称型,または,らせん対称型の構造をもっているが,コロナウイルスは,らせん対称型である(図2:nucleocapsid)。らせん対称型のウイルスは,一般に脂質で構成された細胞膜様のエンベロープを有するが,コロナウイルスもエンベロープを持ち,ウイルスの本体であるnucleocapsidをエンベロープが包み,ウイルス粒子は球状を呈する。  二本鎖DNAを唯一のゲノム形式とする細胞性生物と異なり,およそ地球上で考えうるあらゆる形式で遺伝情報を保持するウイルスが存在している。つまり,mRNA形式(プラスRNAと呼ぶ),mRNAに相補的なRNA形式(マイナスRNAと呼ぶ),二本鎖RNA形式,一本鎖DNA形式そして二本鎖DNA形式の5種類であるが,コロナウイルスは一本鎖プラスRNAをゲノムとして持つ。一般にらせん対称型のウイルスは一本鎖マイナスRNAをゲノムとして持つが,コロナウイルスはこの点で例外的である。そして,プラスRNAをゲノムとするウイルスは,比較的小型のウイルスが多いのだが,コロナウイルスは比較的大きく,プラスRNAをゲノムとするウイルス中最大のゲノムサイズを持っている。
Z.コロナウイルス科
 コロナウイルス科にはコロナウイルス属とトロウイルス属が属する。トロウイルス属は近年見つかったウイルスで家畜の胃腸炎ウイルスである。コロナウイルス属の研究の歴史は古くまで遡ることができ,1936年に家禽でinfectious bronchitis virus (IBV)として発見されたのが最初である。ヒトコロナウイルスは,1965年にTyrellらがヒト胎児気管細胞を用いて初めて培養に成功し,ライノウイルスに次ぐ「かぜ症候群」の原因ウイルスであることが知られるようになった。しかし,コロナウイルスの培養は容易ではなく,SARS-CoV以外では,HCoV-229EとOC43の2株のみしか培養に成功していない。今回,SARSコロナウイルスが分離できたのは幸いだったと言わざるを得ない。  従来,血清学的および遺伝子型的に,コロナウイルス属は3つの型に分けられていたが,SARSコロナウイルスは,遺伝子配列が決定された結果,従来の型とは異なる型であることが系統樹より明らかである。一般的にウイルス粒子表面のタンパク質は免疫系の圧力を受けるため変異し易い。このウイルス粒子表面に存在するスパイクタンパク質のアミノ酸配列による系統樹を図3に示した。ウイルス遺伝子のどの部分を解析しても同様の系統樹を描くことができる。このことが示すのは,通常のウイルス進化をして来たウイルスであるということであり,一部で噂されたバイオテロの武器として開発されたものであるとの懸念はまず考えられない。図3を見て頂くと分かるように,SARS-CoVは,コロナウイルスがGroup1, Group2, Group3の3つの型に分かれた後に更にGroup2から枝分かれしたと推定できる[4]。  系統樹から考えても分かるように,SARS-CoVがある日突然出現したということは考えられない。可能性としては,「それまで知られていなかった非病原性のヒトコロナウイルスが変異し,病原性を獲得した。」あるいは「動物コロナウイルスがヒトへの感染性を獲得した。」等が考えられるが,SARS-CoVに対する抗体が一般のヒトに検出されないこと,動物にヒトSARS-CoVと近縁のコロナウイルスが検出されたこと等から,後者の可能性が高いと考えられる。かつての人類を脅かしてきた新興感染症(例えば,痘瘡,AIDS,エボラ出血熱等)はいずれも後者の例であると考えられている。
[.種のバリア
 動物のウイルス感染症が,ある日突然ヒトへの感染性をどのように獲得して広がるのかはっきり分かっている例はないが,多くの新興感染症は,生態系のバランスが崩れることにより保因動物からヒトへとウイルスが移行することにより生じると考えられている。感染した1個体から他の個体に感染する率(basic reproductive rate)をR0とすると,バリアが存在するということは,動物からヒトへのR0=0ということである。種のバリアを超えるためには,動物からヒトへのR0はR0>0にならなければならない。更に,このウイルスがパンデミックを起こすためには,ヒトからヒトへのR0が1よりも十分に大きくならなければならない。ところで,動物からヒトへのR0が0を超えたとしても最初は0>1となる)は短期間の内に生じうるということが示された。これをSARS-CoVの場合に当てはめてみると,一度バリアを超えてしまったSARS-CoVは第一波のアウトブレイク時にはパンデミックになる程の感染力が無かったとしても,第二波のアウトブレイクではパンデミックを引き起こしうる変異が生じた可能性は十分考えられるということになる。
\.SARS-CoVの保因動物ハンティング
 SARSの病因がコロナウイルスであることが判明した後,ウイルス学者たちは前述の理由からSARS-CoVが動物由来であると強く疑い保因動物のハンティングに乗り出した。最近,Guanら[6]は,中国南部における野生動物7種,家畜動物1種でSARS-CoVの存在を検索した。その結果,広東省の市場で売られているハクビシン(Himalayan palm civet)およびアライグマ(racoon dog)にSARS-CoVウイルスを見出した。更に,その市場で野生動物を扱う人々の4割近くにSARS-CoV抗体が検出できることを報告している。もちろん,一般人にSARS-CoV抗体は見つかっていない。興味深いことに,Guanらが分離した動物SARS-CoVのゲノムには,ある1株を除くヒトから分離されたSARS-CoVでは欠失している29塩基がORF8aという遺伝子に存在していた[6]。動物から分SARS-CoVとヒトSARS-CoVの系統樹解析をすると一層興味深い(図4)。ハクビシン,アライグマから分離されたSARS-CoVに最も近縁のヒトから分離されたSARS-CoVは,GD01株(Genbank accession no. AY278489)であるが,この株は他のヒトから分離されたSARS-CoVで欠失している29塩基を持っている。つまり,都合よく解釈すれば,動物からヒトにバリアを超えて感染したSARS-CoVがORF8aの29塩基を失うことによって,ヒトからヒトへの感染力を増していった可能性が考えられ,その後,この系統樹が示すように変異を繰り返しながら,最終的にR0=3となったSARS-CoVはパンデミックへと至ったのであろうと考えられる。しかし,ペットの猫やフェレットにもSARS-CoVは容易に感染することが知られており,他の動物が真の保因動物であると見る研究者も多く,今尚ハンティングは続いている。
].おわりに
 SARS-CoVが再び猛威をふるう可能性は十分あるが,SARS-CoVパンデミックの再来は二度と無いかもしれない。しかし,人類が地球の生態系を変化させる限り,Antiaらが予測するように,新たなウイルスによるパンデミックは再度必ず起こると考えるべきである。そして困ったことに,その新種のウイルスを予測する手段を我々はまだ持っていない。恐らく,過去の地球上の歴史にはこのような新興感染症の勃発により滅亡してしまった種が数多くあっただろうと想像される。人類がそのような目に遭遇しないように祈るばかりである。  

(無断転載を禁ず:千葉医学会)
 
   
  クリニカルプロテオミクスをめぐる最近の知見
野村文夫  朝長 毅   千葉大学大学院医学研究院分子病態解析学


T.はじめに

 ポストゲノムあるいはポストシークエンス時代に入り,DNAマイクロアレイなどによるmRNAの網羅的発現解析(トランスクリプトーム解析)が現在盛んに行われているが,1)細胞内でのmRNA発現量とタンパク産生量とは必ずしも比例しないこと,2)タンパク質の活性は細胞内での局在やプロセシング,翻訳後修飾などmRNAとは別のレベルで制御されていること,3)低侵襲で得られる通常の臨床検体ではmRNAは解析対象となりくいこと,などの理由により,振り子は再びタンパク質研究に向かって大きく振れつつある。論文上1995年に始めて登場したとされるProteomeという用語も市民権を得て,その解析技術の進歩と相俟って,近年急速な展開を見せている。全発現タンパク質を対象とする網羅的プロファイリングに加えて,特定の病態に関与するタンパク質をターゲットとする疾患プロテオミクス,創薬プロテオミクスは特に臨床に深く関わってくる。本稿ではクリニカルプロテオミクスをめぐる最近の知見について,自験例を中心に概説する。
U.プロテオームとは
 ゲノム,トランスクリプトーム,プロテオームの関連を図1に示した。静的情報といえるゲノムに対して,プロテオームは翻訳後修飾,タンパク相互作用などの結果,生体や細胞が置かれた環境により刻々と変化する動的な情報といえる。「プロテオーム」は特定の細胞,器官,臓器の中で,翻訳生産されているタンパク質の全セットを意味し,さらに個々のタンパク質の化学構造,総量,発現時期,翻訳後修飾,集合体形成などの高次情報解析も含めた研究分野を「プロテオミクス」と呼ぶ[1]。             プロテオミクスはさらに,発現プロテオミクスと機能プロテオミクスに分けられるが,本稿では疾患特異的発現プロテオミクスを扱う。  Proteomeなる用語がはじめて用いられたのは1995年のWasingerらの論文とされている[2]。同論文で用いられた二次元電気泳動法(2-DE)による分離技術に質量分析法によるタンパク質同定技術を組み合わせた手法は現在もプロテオーム解析の基本であるが,近年の解析技術の進歩は,2-DEのメリットを生かしつつ従来の方法を改良する方向と,2-DEのデメリット,すなわち,再現性が悪く,操作が煩雑で,感度が低く,低分子量タンパクの分析が困難という点を避ける脱2-DEの方向に大別される[3]。本稿では従来の2-DEとその改良法および脱二次元の方法として近年注目されているSELDI-TOF MS法をとりあげる。
V.二次元電気泳動法を用いたプロテオーム解析
 プロテオーム解析では,まず最初に,細胞,組織などから得られた複雑なタンパク質混合物を分離し,可視化することが求められる。現在のところ,大部分のプロテオーム解析の出発点は2-DEであり,依然としてタンパク質の分離の中心となっている技術である。それは,この技術が数千のタンパク質を同時に分離する卓越した能力を持つためであり,その二次元展開物を高感度で可視化でき,さらにそれぞれのスポットをゲルから切り出して質量分析計によって容易にタンパク質を同定できるためである。2-DEで分離されたタンパク質は,質量分析によりペプチドマップを作製するか,または部分アミノ酸配列を決定し,そのデータをもとにゲノム解析で得られたデータベースから同定する。  最初の2-DEの分離は,濾紙−寒天ゲル電気泳動を二次元に組み合わせて血清タンパク質を分離した研究に端を発する[4]。その後,一次元目に等電点電気泳動,二次元目にSDSポリアクリドアミドゲル電気泳動(SDS-PAGE)を用いることによって,タンパク質を電荷と大きさという二つの独立したパラメーターで分離する方法がO’Farrellにより開発され,多数のタンパク質を一度に分離精製できるようになった[5,6]。2-DEでは高い再現性でタンパク質が分離される必要があるが,O’Farrellの方法は特に陰極側に分離される塩基性のタンパク質の電気泳動パターンの再現性に問題があった。この点を克服するため,最近,固定化pH勾配(Immobilized pH gradient: IPG)ゲルが開発され, 極めて高い再現性を得ることができるようになった[7]。現在,ほとんどの2-DEの一次元目にこのIPGゲルが採用されており,Amersham Pharmacia Biotech社からは既製のIPGゲルが販売されている。  我々は2-DEを用いて,大腸癌組織に特異的に発現しているタンパク質の同定を試みた(本学先端応用外科落合武徳教授らとの共同研究)。本学先端応用外科で体系的に収集された癌手術標本の癌部と非癌部から抽出したタンパク質を2-DEにかけ,タンパク質を分離した。分離されたタンパク質はクーマシーブリリアントブルーによって染色し,スポットとして検出した(図2)。複数の症例の癌部,非癌部で共通して違いの見られるスポットを約100個選び出し,それぞれのスポットをゲルから切り出した後,トリプシンによるインゲル消化を行い,イオントラップ型LC-MS/MS装置(ThermoQuest社LCQ-Deca: 北里大学理学部生体分子動力学研究室 前田教授,小寺講師,大石講師との共同研究)にて部分アミノ酸配列を解析,タンパク質を同定した。その中には,すでに種々の癌での発現増大あるいは発現低下が見られるとの報告があるものも含まれていたが,中には過去に癌との関連が指摘されていないタンパク質も複数認められた[8]。これらのタンパク質については新しい腫瘍マーカーあるいは治療のターゲットになる可能性があると考えられる。  上述のごとく,2-DEは数千のタンパク質を同時に分離する卓越した能力をもつが,その反面種々の問題点がある。まず,2-DEで分離できるタンパク質の数がヒトなどの高等真核生物に存在するタンパク質の数にはるかに及ばないということである。特に転写因子や各種受容体など微量に存在するタンパク質を検出するのは困難である。また,2-DEで分離したタンパク質のスポットの位置や染色の強さの再現性を確保することが難しい。それらの問題点を克服する方法として,最近,タンパク質を蛍光色素で標識して2-DEで分離する手法(2D-DIGE)が開発された[9]。この方法は二種類のタンパク質試料を異なる蛍光試薬であらかじめ標識してから混合し,一枚のゲルで泳動することで,二種類の試料内の相対的タンパク量を精密に比較できることが特長である。このアプローチにより,タンパク質の検出感度が上がり,ディファレンシャル解析が再現性よくできるようになった。本法により大腸癌手術標本の癌部・非癌部の発現タンパク質を比較解析した結果を図3に示した。 さらに,2-DEにかわるプロテオーム解析方法も開発,応用されつつある。例えば,後述するように,チップを基盤とした分離方法(surface-enhanced laser desorption/ionization: SELDI),二次元クロマトグラフィーによる分離[10,11],アフィニティータグの利用[12,13]などである。これらの方法は,2-DEでは限界のある高処理能や自動化を可能にし,再現性や定量性が高いシステムとして将来有望であると考えられる。
W.SELDI-TOF MS(プロテインチップシステム)による新たな疾患マーカーの探索
 アルコールによる臓器障害の診療の第一歩は正確な飲酒歴の聴取であるが,飲酒家の申告量はかならずしも正確でなく,客観的なマーカーが求められる。  習慣飲酒により変動することが知られている検査項目は多岐にわたるが,わが国でもっとも広く利用されているγ-GTP(GGT),近年欧米で多用されている糖鎖欠損トランスフェリン(CDT)のいずれにも,いわゆるnon-responderが存在することに加え,非アルコール性疾患でも異常値を示す場合がある。すなわち,常習飲酒家のスクリーニングにおいて感度・特異度ともに満足すべきマーカーはなく,最近報告された他施設共同研究においてもCDTの限界が示されている[14]。したがって,新たなテクノロジーを利用して新規のマーカーを探索することが必要である。  我々は表面増強レーザー脱離イオン化(SELDI)と飛行型質量分析計(TOF-MS)を組み合わせたプロテインチップシステム(サイファージェン・バイオシステム)を用いて新規アルコール関連マーカーの探索を行った[15]。  プロテインチップシステムは,プロテインチップ,質量分析計およびデータ解析コンピュータからなり,原理の基本は田中耕一氏のMALDI-TOF MSと同様である。プロテインチップはアルミ板の表面に,様々な化学的(ケミカルチップ),生物学的(バイオロジカルチップ)修飾を施したものであり,このチップに生体試料を添加した後,チップ表面に親和性のあるタンパク質のみを分離・捕捉し,選別されたタンパク質群を質量分析計で測定し,分子量と発現量の情報を得るものである[16]。同一チップ上に異なる条件下の生体試料を添加できるので,ある病態下で発現が特異的に変化するタンパク質を健常時と比較解析することが可能である。     そこで断酒目的で専門施設に入院したアルコール依存症(DSMIV)患者計16名から得られた断酒後の時系列検体を用いて,飲酒により増減するタンパク・ペプチドの網羅的解析を行った(本学精神医学伊豫雅臣教授らとの共同研究)。その結果,飲酒に伴い血清における発現が変化する計5個のピークを見出した。現時点で3つのピークについては精製・同定を終えたが,2つは未報告のペプチドであった。従来,γ-GTPをはじめとする飲酒マーカーは飲酒に伴い増加し,断酒により低下するものに限られてきたが,今回見出されたペプチドは全く逆の挙動を示す興味深いマーカーといえる。  図4に飲酒の影響が強く残っている入院時に減少していて,断酒に伴い増加が見られた2つのピークを示した。この変化は16例中13例で見られ,γ-GTPのいわゆるノンリスポンダーにおいても認められたので,γ-GTPと相補的な新たな飲酒マーカーとなる可能性があり,人間ドックなど健診の場で応用可能と思われ,現在より簡便な免疫学的定量法の開発を進めている。  本解析結果が示すように,SELDI-TOF MSは従来の電気泳動では解析が困難であった分子量8000以下の低分子量タンパクあるいはペプチドの解析に優れているので,従来の手法では見出されることなく眠っていた疾患関連新規ペプチドが血清をはじめとする臨床検体から発見される可能性が大きい。さらに,プロテインチップによる解析条件の検討がそのままその後のタンパク精製の予備実験にもなり,その後の精製・同定が比較的容易であるという利点がある。しかし,再現性,定量性などにおいて解決すべき問題も残されている。  SELDI-TOF MSを利用するプロテインチップシステムは短時間に多数のサンプルの解析が可能であると同時に,一枚のチップ上で,複数の異なる病態下の発現タンパク質量の比較を行うことができる画期的な方法であり,卵巣癌[17],前立腺癌[18],などの悪性腫瘍においても疾患特異的な血清タンパクプロフィールが報告されていて,今後広く臨床応用されると期待される。
X.おわりに
 臨床プロテオーム解析に関連する最近の知見について自験例を中心に述べた。 技術的に解決すべき課題もまだあるが,高分子量領域では2D-DIGEを,低分子量領域にはSELDI-TOF MSを使い分けることにより,広範囲の疾患関連タンパクを解析することが可能と思われる。現在当講座では,本学の先端応用外科学,腫瘍内科学,臓器制御外科学,精神医学,産科婦人科学,循環病態医科学,および他大学との共同研究により各種固形癌などの新規疾患マーカーおよび疾患特異的タンパク・ペプチドフィンガープリンティングを見出すことに取り組むと同時に,共同機器として本学に設置された。

(無断転載を禁ず:千葉医学会)
 
   
  21世紀COE(医学系)プログラム
消化器扁平上皮癌の最先端多戦略治療拠点: 遺伝子治療と重粒子線治療の遺伝子解析に基づくテーラーメイド化
丹沢秀樹 辻井博彦 落合武徳   21世紀COEプログラム


T.はじめに
 このたび,平成15年度の21世紀COEプログラム(医学系)選考において,全国85大学・138件の応募プロジェクトの中から,私達の提案した消化器扁平上皮癌プロジェクトが採択されました。これは多くの関係者の皆様のご助力・ご支援の賜物と感謝いたしております。本プログラムは大学の将来計画に基づいて学長主導により大学から応募するものであります。本プロジェクト採択に関しての磯野可一千葉大学長のご努力・指揮に対し,心からの感謝と敬意を表するものです。また,本計画は,千葉大学大学院医学薬学府の教育研究システムに組み込まれている放射線医学総合研究所と千葉県がんセンターとの共同教育・研究体制に基づくものであり,その意味から,他には無い優れた連携体制であるという高い評価を頂いたものでもあります。放射線総合研究所における重粒子線治療,千葉大学先端応用外科において行われている遺伝子治療,さらに,千葉大学医学部附属病院として積み重ねてきた高度先進医療としての癌の遺伝子診断という3つの最先端医療技術をさらに発展させて実際の治療成績を向上させることを目的としています。千葉大学と千葉市内に存在するこれらの施設が協力して世界に誇る教育,研究,治療拠点を形成し,その成果を世界に向けて広く発信してゆきますので,今後とも皆様のご支援をお願いする次第です。

担当専攻等
大学院医学薬学府先進医療科学専攻,および先端生命科学専攻
コアメンバー: 丹沢 秀樹(臨床分子生物学,歯科口腔外科学,教授)
落合 武徳(外科学,遺伝子治療学,教授)
辻井 博彦(重粒子線医学,併任教授,放射線医学総合研究所・センター長)
田川 雅敏(遺伝子治療学,非常勤講師,千葉県がんセンター研究局・病理部長)
岡本 美孝(耳鼻咽喉科学,教授)
滝口 正樹(遺伝子生化学,教授)
関  直彦(機能ゲノム学,助教授)
島田 英昭(消化器外科学,遺伝子治療学,講師)

U.概  要
 消化器扁平上皮癌(食道・咽頭・口腔癌)は年間約3万人が発症し,半数が死亡する予後不良の癌であり,症例数が年々増加しています。また,食道・咽頭・口腔は重要な機能である構音,嚥下,呼吸などを司るため,これらの機能に配慮した治療が強く望まれています。このため,千葉大学,および医学部附属病院を中心として,近在する放射線医学総合研究所,千葉県がんセンターは共同で消化器扁平上皮癌に対する遺伝子医学を駆使した最先端治療の実施・開発ならびに先端医療・研究従事者の育成を目的とした拠点を形成することになりました。  千葉大学は従来から食道・口腔・咽頭の癌に対する国内屈指の治療実績を誇っており,さらに,世界初の食道癌遺伝子治療が進行中です。また,癌における遺伝子診断法を開発し高度先進医療として実施中です。放射線医学総合研究所は臨床治療を行っている世界で唯一の重粒子線治療センターを有しています。また,千葉県がんセンターでは新規遺伝子治療(国際特許出願中)の開発・研究が行われています。このような実績の上に,従来の診療科・分野を超えた共通の研究・治療を行い,大規模共同研究のためのオープンな研究・教育・治療拠点を構築して,癌の遺伝子医療の倫理的実践と人材の育成を行うことを目指しています。  遺伝子治療については,癌細胞中に遺伝子を導入することにより,癌細胞が自殺したり融解するように仕向けるタイプの遺伝子治療を実施・発展する予定です。現在,既に食道癌ではp53遺伝子治療を行っていますが,これを口腔や咽頭の癌にも拡大応用する予定です。また,放射線との併用療法等で,より効果的な癌治療法に発展させ,さらに,新規国産遺伝子治療法を開発します。  重粒子線治療に関しては,既に放射線医学総合研究所で臨床試験が行われており,癌に対する治療効果が非常に高いことが明らかになっています。しかし,通常のX線治療と重粒子線治療の癌細胞に対する効果の違いがいかなる原因によるものかが未だ完全には明らかになっていないため,遺伝子学的解析法に基づいて,重粒子線とX線の癌細胞に対する効果を検討し,適応や至適線量,照射法などの判定法を確立します。また,重粒子線治療に関しては,遺伝子治療,X線治療,抗癌剤との併用などを通じて,より安全で効果的な治療方法を開発します。  これらの治療法を効率良く,的確に行うために,患者さんや疾患の評価を遺伝子学的に行い,また,各治療法によりどのような影響が起きるのかを遺伝子学的に評価して,副作用が少なく,最も安全で,最も効果的な治療を行う判断基準を作成します。さらに,癌の遺伝子評価・診断法を独自に開発したcDNAマイクロアレイや血清腫瘍抗体,マーカー等により行います。前癌病変の発癌リスク評価と予防治療法,あるいは,早期癌の早期発見に大きく貢献できるものと見込まれます。  本拠点の形成により遺伝子医学の実施・開発と実践的教育が促進され,日本全国に世界的な技術と人材を供給することが可能となります。誠心誠意努力いたしますので,皆様是非ご期待下さい。

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