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千葉医学 80 (4) :141-189, 2004

第80回千葉医学会学術大会抄録
T.特別講演:千葉大学第二外科が歩んできた食道外科の歴史と実績
 磯野可一(和文・PDF)
U.招待講演:21世紀COE拠点形成プログラムで目指す食道癌診療の新しい展開
 島田英昭(和文・PDF)
 
千葉医学会特別講演
細胞培養と放射線:その1
 寺島東洋三(和文・PDF)

総説
高気圧酸素療法の実際 −どの病気に有効か? 治療法の実際は? 千葉県の実状−
 中田瑛浩 斉藤順之 千見寺勝 香田真一 樋口道雄 川田欽也 石田 修 高橋佐和士 藤原敬悟(和文・PDF)

らいぶらりい
The Bethesda System for Reporting Cervical Cytology, 2nd ed.
 石倉 浩(和文・PDF)

研究報告書
平成15年度猪之鼻奨学会研究補助金による研究報告書(和文・PDF1,2,3)

学会
第1068回千葉医学会例会・第28回千葉大学放射線医学教室同門会例会(和文・PDF12,3,4,5,6)
第1081回千葉医学会例会・整形外科例会(和文・PDF1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12)
第3回千葉肝胆膵外科フォーラム(和文・PDF1,2,3,4)

編集後記(和文・PDF)

 
   
  第80回千葉医学会学術大会抄録:T.特別講演
千葉大学第二外科が歩んできた食道外科の歴史と実績
磯野可一 千葉大学 学長


 新しい時代を迎え,千葉大学第二外科は,名称も衣も変わり,現在新しく「先端応用外科」となっております。 そして,第二外科から引き継がれた教室が,過去の伝統をどのように受け継ぎ又は払拭しているかは,私の十分知る所ではなく,新しい歩みを進めているものと思います。  
私が,今日述べようとする事は,第二外科学教室が,瀬尾,中山,佐藤,磯野の四代,約70年に亘って,第二外科という名称で教室の主テーマとして,且つ伝統として継承してきた食道外科の歴史についてであります。  この事も,私自身の偏見による所が大きいかと思いますし,又,私自身が歩んできた事が誇張されるかも知れませんが,お許しいただきたいと思います。  いずれに致しましても良きにつけ,悪しきにつけ,これまで第二外科学教室には「二外科カラー」という強力な個性があったと思います。  この中には,今の時代には,悪しき弊害として敬遠されるpaternalismや,人格を無視したともいえる医局制度などが根強く存続していたといえます。しかし,新しい時代を迎えても,過去の悪しき習慣を取り除き,単に西欧の模倣でなく,真に病める患者さんのためになる医療としてこれまでの伝統の中に存在する永遠の真理に基づき日本独自の近代制度の構築に心掛ける事が大切であります。  この事に於いて,法人化後の競争的環境にあって,個性輝く医療制度を病院全体として,又,各講座に於いて求められる事が必要であります。しかし,医療は人命を預かる聖職の場であり,時の流れに翻弄される単なる経済効率の場であってはならない事を銘記すべきであります。  私自身は,瀬尾先生の事は全く知りません。しかし,瀬尾先生の昭和16年に記された創立記念の辞を読み感銘し,第二外科同門会誌に抜粋して紹介した事があります。  「・・・・其の使命たるや国家に必要なる大学の外科学教室成立にあるは勿論,更にその理想たるや業績を通じて世界的標準に進出し,以って独自の毅然たる一存在たらんことを目標とする。・・・・・・・かくて此の教室と学派は永遠に継続されるべきである。その根底としては不断の真摯なる学術の教育,研究及び応用の実績を齎らされねばならない。徒に外観のみの虚勢であってはならない。教室は実を尚び,量より質を重しとするのである。伝統の華もかくてこそ始めて輝かしき光を放つであろう。・・・・・」  この文章を読み,瀬尾先生の人柄と第二外科の歩むべき道を見い出した思いが致しました。  私自身は,中山教授,佐藤教授に師事し,僅かな中山外科医局生活と佐藤外科を通し,又,私が教授となってから知り得た中山外科の伝統が,第二外科の伝統と理解しております。  
そして,第二外科教室の伝統ともいえる信条は

1.外科技術に於いては,日本はおろか世界的にも最も優れていると自負出来ること。・・・・常に,外科技術の修練に励むこと。
2.患者さんを良く看ること。・・・・病状の早期発見と早期治療,患者信頼関係の構築。
3.常に「Neues」を探究すること。・・・・臨床研究での創造の追求。

であったと理解しております。  

なお,第二外科の医師のスタイルには一種独特のものがありました。  
@ 白衣は,ツメ襟で,半袖  
A 下履は靴(特に教授は白靴)  
B 肩を張って,早足で歩く  

という出立ちであり,遠くから見ても,あれは第二外科の医師であると一目でわかったと云われております。  
日本の食道癌外科治療の歴史は,千葉大学第二外科から始まり,外科治療が,食道癌治療の第一選択としての地位を確立し,食道癌治療に於いて常に世界をリードしてきたと云えます。  その歴史の概略を振り返ってみたいと思います。

T.瀬尾外科(1926−1946年)
 1939年(昭和14年)   第40回日本外科学会総会会長  日本外科学会での「食道外科」の宿題報告(1932年)が,日本の食道外科治療の黎明となっている。  食道再建術で世界で初めて「空腸間置術」を報告する(1941年)。
U.中山外科(1946−1965年)
 1965年(昭和40年)   第65回日本外科学会会長(前期)  食道癌外科治療の確立(安全性,適応拡大,普及)。術前照射,三期分割手術,食道疾患研究会設立,国際食道疾患会議(ISDE)の設立,食道アカラシア宿題報告(臨床)1962年(日本消化器病学会)。
V.佐藤外科(1965−1985年)
 1982年(昭和57年)   第52回日本外科学会総会会長  一期手術の普及,手術死去率の低下,内視鏡の診断・治療の進歩,照射と抗癌剤の併用,画像診断−CT,MRIの導入。
W.磯野外科(1985−1998年)
 1996年(平成8年)   第96回日本外科学会総会会長  三領域リンパ節郭清(拡大手術)。予後の向上,縮小手術への適応条件の確立,FDG−PET検査導入,CDDPの導入,重粒子線の臨床応用,遺伝子治療の臨床応用への申請。  

以上,四代に亘る食道外科治療の歴史に就いて述べてみたいと思います。
(無断転載を禁ず:千葉医学会)
 
   
  第80回千葉医学会学術大会抄録:U.招待講演
21世紀COE拠点形成プログラムで目指す食道癌診療の新しい展開
島田英昭 落合武徳 千葉大学大学院医学研究院先端応用外科学


 当科における食道癌治療は,中山恒明教授,佐藤博教授さらに磯野可一教授時代にかけて安全な治療法として確立されました。特に,進行癌の治療成績においては,磯野教授時代に画期的に向上し現在にいたっています。これらの歴史を背景として,平成15年度より開始された21世紀COE拠点形成プログラムでは,食道扁平上皮癌に対する従来の集学的治療である手術・放射線・化学療法を発展させて,分子標的治療ならびに重粒子線治療を導入した次世代の集学的治療の可能性を検討することを目的としています。本講演では,現在までの準備状況ならびに将来の展望をご紹介させていただきます。  

分子標的治療研究では,非切除・前治療抵抗症例を対象として,p53組み換えアデノウイルスベクターを腫瘍内へ局所注入する遺伝子治療臨床研究を実施しました。現在までに9例に対して合計46回の遺伝子治療を実施しました。局所の腫瘍に対する治療効果は,9例中7例(78%)で長期間不変状態を保っていました。4例では治療開始後1年以上生存しています。経口摂取不能症例の1例では,経口摂取が可能となりました。治療経過中に,生検組織中の癌細胞が消失した症例も認めました。副作用としては,軽度の発熱・局所の疼痛を除き重篤な有害事象を認めていません。治療を実施した全症例で,導入したp53遺伝子が腫瘍内で発現して機能していることを確認しました。生体排泄物中には治療後7日目までは,ウイルス由来遺伝子が存在しましたがその後消失しました。治療に用いたウイルスが検出されない1週間以降であれば,将来的には米国同様に,遺伝子治療の外来治療も可能となるものと思われます。p53遺伝子治療の安全性がほぼ確認されたことを受けて,今後,p53遺伝子治療と放射線化学療法との併用治療の臨床研究を予定しています。基礎研究では,p53遺伝子を導入することで,化学療法や放射線治療の治療効果が増強することが確認されていますので,この臨床研究によって,従来の放射線化学療法の有効率がさらに向上することが期待されます[1]。一方,次世代の分子標的治療として腫瘍融解型ウイルス治療法の開発を行っています。これは,食道癌特異的に発現するミドカインプロモーターを用いて,食道癌細胞中で選択的にアデノウイルスを増殖させることで,抗腫瘍効果を得るものです。副作用の少ない治療法として臨床応用が期待されています。すでに,欧米では,類似の構造を有するウイルス治療の臨床研究が開始されており,本邦においても千葉大学が中心となって臨床試験実施の準備を進めています[2]。  

重粒子線治療臨床研究では,磯野教授時代に,@術前重粒子線治療臨床研究ならびにA手術非適応症例に対する重粒子線治療臨床研究が実施されました。いずれの臨床研究においても良好な局所効果が確認され,重篤な有害事象を認めませんでした[3]。これらの臨床研究を背景として,高度進行癌を除く症例を対象として,@短期間の照射,A照射後の根治手術,を前提とした新たな臨床研究を立案しました。目的は,主としてリンパ節の局所再発の制御であり,可能な限り長期間にわたって予後を追跡調査することとしています。比較的早期の腫瘍では,症例によっては腫瘍が消失することも予想されますので,この臨床研究を発展させることで,将来的には一部の症例では非手術治療として確立される可能性もあります。本臨床研究と並行して,重粒子線と化学療法あるいは遺伝子治療との併用治療の基礎研究を進めています[4]。これらの治療研究では,腫瘍特異的遺伝子発現解析が必須です。我々は,食道扁平上皮癌解析用の独自のcDNAマイクロアレイを作製中であり,放射線感受性,抗癌剤感受性のみならず重粒子線感受性についても解析を進める予定です。  

最後に,早期食道癌のスクリーニングへの第1歩として,飲酒や喫煙と関連する代謝酵素遺伝子の異常を診断する方法を開発しています[5]。従来から飲酒歴,喫煙歴は,食道癌の高危険因子とされていましたが,最近の研究によって,飲酒や喫煙に関連する発癌物質の代謝酵素の遺伝子異常が食道癌の発癌と関連している可能性が明らかとなってきました。あらかじめ自分の遺伝子の型を解析しておくことで,飲酒や喫煙の発癌への危険性をある程度予想することも可能となるものと思われます。また,早期癌に対する自己免疫反応を利用した診断方法の開発にも取り組んでいます[6]。これは,発癌の早期に癌抗原が自己免疫反応を惹起することに着目して,発癌早期に血液中に出現する癌特異的な微量のIgG抗体を検出する方法で,血液0.1程度で測定が可能です。すでに,複数の有力な癌特異的抗原遺伝子をクローニングしており,診断のための血液検査キットの試作を行っています。これらの開発中の新しい血液検査法については,千葉大学医学部倫理委員会の承認のもとに,千葉県内のがん検診センターの協力を得て,大規模な検診プロジェクトを平成16年4月1日より開始しました。1年間で1万人程度の方々にこのプロジェクトに参加していただき,実際のがん発見率やその治療成績を調査する予定です。  

これらの診断・治療における新しい試みを通して,食道癌の診療において,21世紀COEプログラムの拠点形成に少しでも貢献できるよう全力を尽くしてまいりたいと考えております。  

最後になりましたが,重粒子線治療臨床研究に関しましては,辻井博彦センター長,鎌田正先生,山田滋先生,安田茂雄先生に大変お世話になっております。厚く御礼申し上げます。
(無断転載を禁ず:千葉医学会)
 
   
  第79回千葉医学会学術大会 特別講演
細胞培養と放射線:その1
寺島東洋三 元原子力安全委員長代理,元放射線医学総合研究所所長


 田辺教授からのお勧めなので,私には断ることはできません。語りたいことを語れと云われればそれは半世紀も前の話になってしまう,科学の知識としてはそれほど皆さんのお役に立つわけでもない,−−でもそこには古典生物学の香りの若干があるかもしれません。それがこの一文を書いたモメントといえば云えるでしょうか。

はなしの背景
 8年ほど前,それはX線発見の100年記念に当たる年でした。私は学会でレントゲン教授の話を依頼されたことがあって覚えているのですが,なんと発見の翌年にはすでにプロシャにレントゲン線学会(レントゲン教授は物理的実体に個人の名を冠することをひどく嫌いましたが)が生まれ,X線による先天性母斑の治療,腫瘍の実験治療が始まっていたようです。当時のX線への熱狂が偲ばれます。その後50年,放射線発生機の開発,治療経験の蓄積,治療技術の進歩などが驚くほど積み上げられて,放射線療法は腫瘍治療法の一つとして完成されたと云えるでしょう。しかし他方,1950年までは,腫瘍がなぜ治癒するのか,その生物学的基礎は依然として薄弱であったのです。  1956年になってT. T. Puck教授(コロラド大,生物物理)は哺乳類細胞のクローン培養技法を開発しました。哺乳類細胞でさえその栄養環境を整えてやれば1個の細胞を,ちょうど原核細胞のように,集落にまで増殖(細胞によっては無限増殖)させることができる,というのです。その1,2年後に現れた論説の “microbiological aspects of mammalian cells” (Annual Review of Microbiology)というタイトルはPuck教授の基本的な理念を示しています。この技法によって細胞の増殖力の有無が定量化され,X線による腫瘍細胞の不活化の動態が明らかになったのでした[1]。  図1に見られる指数関数的なHeLa細胞の生残曲線はガラス器の中の生残集落(Aは対照,BはX線照射)からPuck教授によって初めて描かれたものです。その不活化曲線はほぼ2の外挿値(extrapolation number,直線部分が縦軸に外挿する値)を示しています。当時の放射線生物学の人びとは細胞の不活化の動態を説明するのに標的仮説(target theory)を用いました。1個の哺乳類細胞の中には増殖力を支える二つの標的があって,その二つともX線で不活化されたとき細胞は増殖力を失う(それゆえ外挿値は2),と説明したのです。したがって比較的小線量では有効な細胞死が起こらず,X線の損傷が細胞の中の標的の1個を不活化し,残る1個になったあとはsingle hitで,つまり細胞集団としては指数関数的に死んで行く,と説明したのです。標的の実体は分らないので説明は極めて観念的ではありました。  いま1センチ立方の腫瘍の中に108個の腫瘍細胞があるとすれば,それをみな殺しにするには3000ラドを要することがこの図から分ります。これはまさにこれまでの臨床経験に合致するのです。そういうわけでPuck教授は,がんの放射線治療はがん細胞を殺滅,致死させること,すなわち治療の原理はcell killingだということを明らかにしたのです。  さて細胞の生活は細胞周期に具現されています。その細胞周期という概念はいつ,誰が考えたのか,その起源は?というと,私の不勉強でしょうか,組織学や病理学の教科書には見つかりません。それは1951年イギリスのAlma Howardがそらまめ(Vicia faba)の根端細胞を32Pでラベルすると,一部の間期細胞(interphase cells)が32Pを取り込む,つまり間期にDNA合成の起こる時期(遺伝物質の複製される時期)があることを証明してからであった,と私は考えています。Howardは分裂期とDNA合成期の間をG1,G2期とよびました。  哺乳類細胞が二分裂して増殖するからには,細胞の間期にはさまざまなDNA量が分布しているでしょう。そういう意味では培養された細胞はヘテロで,Puck教授はそれらの混合,つまりヘテロの集団の不活化を見ていたはずであります。もし同調増殖している集団を扱うことができれば標的問題は明らかになるであろう,これが私たちが同調培養を志したモメントであったのです。  私は恩師川喜田愛郎先生の細菌学教室で10年暮らしました。その前半は先生の勧めもあって溶原性バクテリオファージの研究をしました。動物ウイルス研究のモデルとして細菌のウイルスを扱ったのはお金が無かったからです。でもこの研究で得られたプロファージの認識は今で云えばオンコジーンのはしりでした。1950年代の前半のことです。後半は仲間(安村美博,橋爪壮,清水文七,山崎修道など,今になってみると千葉大学の歴史に残る教授たちだったのです)と組織培養を始めました。もちろんウイルスの宿主細胞としてです。そのとき歴史的な組織培養は,第二次大戦後の黄金時代を迎えていたアメリカの「細胞培養」によって置き換えられつつありました。私たちはモダンな培地を作るところから始めたのですが,培地の化学はほとんどアメリカに依存していたのです。その頃,私と同じようにファージから細胞培養に移った男がアメリカにも一人いて,私はこの人とセントルイスで運命的な出会いをしました。それがLeonard J. Tolmach教授(ワシントン大,放射線生物)でした。本稿はこの人レナード・トルマックとの出会いなしには書くことができません。

同調培養への道のり
 私が千葉大学にいたときは丸底の試験管や薬ビンのような器に細胞,そのほとんどはHeLa細胞ですが,を培養していました。1956,7年のことです。培養ガラス瓶を当時出来たばかりの倒立顕微鏡で観察すると,培養液に漂う多数のデブリの中にentireな輪郭と,強度な屈折を示してぴかぴか光る球のあることをだれでも知っていました。これを染めると凝縮した染色体をもつ分裂期細胞です。つまり分裂期細胞は比較的剥がれ落ち易かったのかもしれません。トルマック教授もこのことを知っていました。私は培養面(substrate)から剥がれた細胞はやがてデブリになると信じていたのですが,セントルイスではこれが再びガラス面に付着して分裂するらしいのでした。Puck教授の開発した培地が千葉と大いに異なる半合成だからでした。もし培養面に付くなら,そして成長するものなら分裂期から始まって細胞の増殖サイクルを追えるのではないか,と思いついたのです。そこで私たちは少数個の分裂期細胞でよいから,たとえ100個でも,いや10個でもよいから同調増殖を試みようということで意見が一致しました。用いた細胞はPuck教授と同じHeLa細胞のS3というクローンでした。  当時,哺乳類細胞の同調法というと温度シフト法と核酸阻害法だけでした。後に述べますが,いずれも不完全な部分同調で,極めて歪みの強い非生理的な集団を作るものでした。私はまず効率よく分裂期だけを剥がし取る方法を考えました。

分裂期採集法
 図2はHeLa細胞の単層培養(monolayer)で,角型に拡がった間期細胞のあいだに丸い,輝く輪郭を持つ大きな細胞と,同じく小さい双球状の細胞が見えます。これらは分裂期細胞で,間期の細胞に比べて立体化していて培養面への付着が薄弱であるように見えます。付着力がそれぞれ何ダインかを測定するのも興味がありましたが,操作が複雑で大きなストレスを作っては同調操作として意味がありません。そこでメジウムの中の2価陽イオンの濃度の検討(Ca++イオンを除くと培養面への細胞の付着力が低下するのです),培養びんの震とう条件などを調べました。操作はなるべく簡単で,スピードと再現性が必要です。数ヶ月の試みの後に,メジウムで洗い流すことが最も効率の良いことが分りました。洗い流すと云っても適当な強さの水流でなければなりません。様々なピペットがテストされましたが,口で吹くものが水量や水圧の点で最適なのに少し驚きました。口で加える圧力は極めて敏感にコントロールされるからです。ピペットの水流で斜めにした90ミリのプラスティック・ディッシュの象限を隈なく洗います[3,13]。分裂期細胞は通例培養された集団の1〜3%なので,この方法でペトリディッシュの中の106個のランダム集団からn×104,つまり数万個の分裂期細胞が採集され,これらが培養面に定着して増殖に入れば何とか放射線の生残曲線を描くこともできます。  採集された細胞は図3に示されるように大小の円形細胞と,ときには不規則な輪郭の間期細胞があります。円形細胞には凝縮したクロマチンが見られます。同じことが私の協同研究者の横山健郎博士によってFRUKTO細胞(滝沢教授の果糖肉腫を安村美博教授が培養系化したもの)でも,またマウスのL細胞(clone L5)でも試みられました。これらの細胞系の分裂期はHeLa細胞のそれよりも付着力が弱いので横山氏はピペットの代わりに震とう機を用いています。図4は採集されたFRUKTO細胞の酢酸オルセイン染色像で,HeLa細胞のそれと変わりありません。大部分は分裂期細胞の中期と幾つかの終期と思われるクロマチンを示しています。稀には核の崩壊した細胞も混入します。  採集細胞の形態の内訳は表1のようです。大円形,二連球形,と不規則形あるいは小円形に分けられます。これを見ると細胞系によって分裂期の中でも付着力に差のあることが分ります。しかし採集された細胞の85〜90%は中期(meta),後期(ana),終期(telo)の細胞(大円形と二連球形)で,わずか40〜50分という短い細胞令分布の中に集中しています。この細胞系の世代時間を22時間とすれば,その3〜4%を占めるに過ぎない,きわめて高い同調度です。残る10数%は二連球性を失った終期細胞か,剥がれ落ちた間期細胞やpycnoticsです。私たちはこれを分裂期細胞採集法(mitotic harvesting method)と名付けました[3,7,9,13]。  10数年の後,私どもが想像した通りの分裂期細胞の姿が明らかになりました。図5上はK. R. Porter(1974)が示したHeLa細胞の走査電子顕微鏡像です。分裂中期と同定される球形細胞が多数の長いfilopodiaによって培養面に付着しています。図5下ではcleavageを終えた終期の細胞が依然としてdumb-bell shapeをとっています。未だ二個性を保って見えますがすでに平坦化した初期間期細胞とのあいだには大きな付着力の差が想像できるではありませんか。

同調培養と細胞周期
 採集された細胞を培養環境に置くと,その70%は1時間以内に分裂を完了して,二個性を保ったまま平坦化して間期に入ります。図6の白丸は細胞数で,同調培養が開始された分裂期を0時間とすると,21〜29時間にかけて急激な細胞数の増加(縦軸)を示します。次の周期の同調性はこれに比して著しく崩壊しています。形態的な分裂期は細胞数の増加に先立ち,21時間にピークを持ちます(黒丸)。三角印は並列して培養されたランダム集団の細胞数の増加です。  この1サイクルの同調増殖とその崩壊を示すデータは1961年のことで,後述の画期的な放射線の効果も記載されたためか,そのプリントはひどく各国の研究者に求められ続けました[2]。

細胞周期の事象
 図7の上にはHeLa細胞の同調増殖実験が二つ描かれています[3]。細胞数(白印,右縦軸)の増加とDNA合成細胞の比率%(黒印,左縦軸)の消長です。第1サイクルの世代時間は中央値で概ね22時間で,やはりかなりの分布があります。DNA合成は14時間を中心として約8時間続きます。この図からは約8時間のG1期,8時間のS期,4〜6時間のG2,M期が読み取れます。DNA合成をしているS期細胞の比率は3H-チミジンのパルスラベルのオートラジオグラフィの結果なので,ラベルされた核内のグレイン数を数えればDNA合成率も分ります。図7の下(3実験)にはS期細胞の比率(白丸印)と同時に細胞当たりのDNA合成率(黒丸)が測られています。それは初期には低く,点火した複製単位(replication fork)の増加を反映して次第に高くなり,また低下し,つまり非定常的に経過します。  この実験で注目されることはDNA合成細胞の増加の速度で,上図をみると8時間から16時間まで増加し続けます。これはG1期時間の分布の表れであって,それが丁度20時間以後の細胞数増加とほぼ平行していることです。云い換えれば世代時間の分布はほとんどG1時間の分布で説明されるということです。そして後に続くS期やG2期にはG1期ほど同調性を崩壊させるモメントが無いようです。  この1サイクルの成長のなかでさまざまなhousehold functionが知られます。たとえば3H-ウリジンでラベルされるr-RNAの合成率は4〜5時間(G1期前半)変わりませんが,S期の進行と共に増加し,周期の終わりには4〜5倍に達します。細胞の体積も2.2倍に達し,細胞の密度は分裂直前にはやや低下していることが分りました[3]。

ランダム集団の細胞周期との比較
 ランダム増殖をしている,普通の培養集団と採集法による同調集団との細胞周期を比較したのが表2です[3]。世代時間の百分率で云えば,HeLa細胞では40%(G1): 40%(S): 20%(G2+M)で,同調操作によってとくに周期に歪みが起こる様子はありません。  図8は協同研究者の横山氏がマウスL細胞のランダム増殖を顕微鏡映画法で記録し,フィルム上で分裂から次の分裂までの世代時間を計り,ヒストグラム(左軸)として表わしたものです[9]。そのメディアン値は28時間です。この世代時間を積分したのが黒点実線で(右軸),仮説的な同調増殖曲線になります。同じ培養から分裂期を採集してスタートした同調培養を顕微映画法で追跡すると+印のような細胞数増加が見られ,仮説的な同調増殖とぴたり一致します。全く同じ結果がHeLa細胞でも得られています。つまり採集法は細胞の増殖力や周期にほとんど全く損傷やストレスを与えていないことが分ります。

同調性の崩壊の原因
 それではなぜG1期だけに細胞の進行(progression)に大きな分布が生じる,つまり同調度の崩壊が起こるのでしょうか? 採集した分裂期細胞をディッシュに移して培養すると,2時間後にはすべての細胞は分裂してG1初期の二個性(ペア)の形を取ります。これを3H-ウリジンでパルスラベルし,オートラジオグラフで核の上のグレインを数えます。図9は各ペアの娘細胞のグレイン数を直交する二軸に描いたものです[3]。もし二つの娘細胞の間でRNA合成率に関して相関があれば点は45度の破線の上に乗るでしょう。もしネガティブな相関があれば点は破線に直交する線上に集まるはずです。結果はどちらの相関も見られない,つまりRNA合成速度は娘細胞の間で全くランダムに起こる,ということになります。分裂してG1期に入るやいなやHeLa細胞は蛋白合成の速度の,あるいは成長の,ランダムネスを指令しているようです。そうして早くランダム集団を構成し,生存の有利性(advantage)を確保しようとしているのではないでしょうか。とにかく同調性はG1期のランダムネスの発生によって崩壊してゆく運命をもっていると云えるでしょう。

G1蛋白のこと
 細胞がDNA合成期に入るには,ある引き金が必要です。G1細胞はその用意を整えなければなりません。この研究を進めていた当時も,DNA合成の開始にある特種な蛋白が必要だと考えられていました。図10では同調細胞のG1期のさまざまな時期(A: 0〜2時間,B: 2〜4時間,C: 4〜6時間)にピュロマイシン,あるいはサイクロヘキシマイドで蛋白を阻害してみた実験が示されています[8]。縦軸は同調された培養のDNA合成率,横軸は分裂期からの時間です。黒丸印は阻害剤なしの培養のDNAの増加,つまり正常のS期の始まりを意味しています。3種の白印は蛋白阻害(A,B,C)をうけた細胞がS期に入るさまを示しています。これを見るとG1期のどの時期の蛋白も同じようにS期の遅延に関わります。そして2時間の阻害は約1.2時間のS期の遅延を起こすのが分ります。特殊な蛋白は見付かりませんが,DNA合成の開始にはG1期のあらゆる時点を通して合成される蛋白が必要である,つまりS期に入るにはおそらく屋台骨のようなもの,構造,が必要なことがこの実験で分りました。ちなみに採集された分裂期に先立つ周期の蛋白はS期の開始に無関係なことも確かめられています。それで私たちはこれをG1蛋白と呼びました。[出芽酵母ではDNA合成に先立つ “Start” というcheck pointで酵母細胞のサイズコントロールがなされることが1970年半ばになって知られてきました。]

さまざまな同調法[7,13]
 表3に様々な同調法をまとめてみます。選択同調には採集法の他に,細胞の大きさを沈降度や選別遠心で分けた人がいますが,もちろん操作に時間がかかれば細胞の受けるストレスは大きく,実験的生理条件は歪みます。そういう点では選択的不活化は3H-チミジンのベータ線でDNA合成細胞のみを殺すので,細胞の生理条件も維持され,同調性も高いのです。しかしながらselective killingという方法の上から分るように,死細胞のコンタミネーションが起こるため生化学的,形態学的研究には役に立ちません。増殖力の検定に適しています。  誘導同調は核酸代謝を阻害して無理やりに集めるため,生理条件が回復したときは同調が完全に崩壊したとき,という自己矛盾があり,原理的に良くありません。その他,イソロイシン欠除法,接触増殖阻止法などがありますが,その適用は特殊な細胞系に限られてしまいます。  そういう点では分裂期採集法は多くの培養細胞系に適用性があり,最高の同調度と最少のストレスを保証していて,これを越える方法は容易に現れないでしょう。

インターミッション
 ソロモンはユダヤの王で,ソロモンの栄華と云われるほどの富を築いたとされますが,詩文をもたくさん作りました。図11はその一つです。自然界の整然たる移ろいに摂理を感じて謳ったものでしょう。摂理に適うものは “美しい” とソロモンは思ったのです。私は分裂期を採集してディッシュに植え込むと,30数時間は夜昼なく培養に付き合うことになりました。若い時とは云ってもそれはexhaustingな実験でした。そのせいかも知れませんが,細胞という複雑な生命が,それも集団で,実験のたびに順序正しく成長,分裂し,真夜中でも明け方でも,時がくれば偽りもなく再現するのを見て “美しい” と思いました。私は3000年前のソロモンと感動を共にしたような気になりました。  摂理が分ると予言ができます。予言は自然科学の特性の一つで,科学者に許された至福の一つだと思うのです。ルーブルには12世紀の円柱形式のソロモンの彫像があります。右の神々しい美形は妃ではなく,なんとエルサルムに表敬したシバの女王です。その折,宿されたソロモンの種はエチオピアの始祖となります。(80巻5号に続く)

(無断転載を禁ず:千葉医学会)
 
   
  高気圧酸素療法の実際 −どの病気に有効か? 治療法の実際は? 千葉県の実状−
中田瑛浩 斉藤順之 千見寺勝 香田真一 樋口道雄 川田欽也 石田 修 高橋佐和士 藤原敬悟1) 
斎藤労災病院,1)南ヶ丘病院


高気圧酸素(Hyperbaric oxygen, HBO)療法を実際に施行する方法,保険診療の行える疾患,千葉県下でHBO療法を行っている施設とその連絡方法などについて述べた。さらに診療科(整形外科,外科,泌尿器科,耳鼻咽喉科,眼科,脳神経外科,内科,その他)毎に,HBO療法が有効な病態について概説した。
 
   
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