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千葉医学雑誌

千葉医学雑誌一覧
 
千葉医学 82 (2) :75-131, 2005

原著
ミニマム創腎摘除術変法の初期治療成績
 赤倉功一郎 池田良一 加藤智規 高野 慎 中島敏彦 溝口研一 中村 剛 (和文・PDF
研究紹介
環境影響生化学 その2  教育における創造作業 ―― PST(Practical Self-Training)の構築
 鈴木信夫 (和文・PDF
糖尿病網膜症の病態解明と進行抑制のための治療戦略確立
 忍足俊幸 山本修一 (和文・PDF
細胞治療学
 齋藤 康 (和文・PDF
分子病態解析学(附属病院検査部)
 朝長 毅 野村文夫 (和文・PDF
救急集中治療医学
 織田成人 平澤博之 (和文・PDF
胸部外科学
 藤澤武彦 飯笹俊彦 渋谷 潔 関根康雄 鈴木 実    伊豫田 明 安福和弘 本橋新一郎 矢代智康 (和文・PDF
先端応用外科学(食道胃腸外科)
 岡住慎一 島田英昭 松原久裕 幸田圭史 鍋谷圭宏 落合武徳 (和文・PDF
話題
千葉大学における人体骨標本の保管環境整備と医学研究の推進に向けて
 松野義晴 坂上和弘 太田昌彦 宮宗秀伸 門田朋子 小宮山政敏 千葉胤道 森 千里 (和文・PDF

学会
第1111回千葉医学会例会・第9回環境生命医学研究会 (和文・PDF

雑報
臨床研究者に求められる臨床以外の知識 
 関根郁夫 (和文・PDF

編集後記 (和文・PDF
第83回千葉医学会総会案内
第82回千葉医学会学術大会・第43回日医生涯教育講座 (和文・PDF

 
   
  ミニマム創腎摘除術変法の初期治療成績
赤倉功一郎 池田良一 加藤智規 高野 慎 中島敏彦 溝口研一 中村 剛
千葉大学大学院医学研究院環境影響生化学


 ミニマム創腎摘除術の有用性を評価するために,当院において施行したミニマム創腎摘除術変法について手術方法と初期治療成績を検討し報告する。術式は木原らの方法に準じたが,皮膚切開は第12肋骨先端部約7pとしたこと,固定式の細長直角鈎を吊り上げるようにして使用して術野を確保したこと,内視鏡としては70度耳鼻科用内視鏡を創縁に置いて使用したこと,創外より5oの陰圧ドレーンを置いたこと,などの変更を加えた。適応は,腎の下極,中央部または腎門部の小さな腎腫瘍,および尿管腫瘍(腎尿管全摘除術の一部として)とした。症例は14例で,男性8例,女性6例,年齢は46歳から83歳,平均65歳であった。病側は右8例,左6例であった。創の長さは6〜10p,中央値7pであった。手術時間は90〜185分,中央値138分で,出血量は47〜380,中央値172であった。歩行および経口開始までの日数の中央値はそれぞれ1および2日で,術後鎮痛剤投与回数の中央値は1回であった。以上より,当院で行なったミニマム創腎摘除術変法は侵襲が小さく安全な手術法であり,腎尿管腫瘍の治療に有用であると考えた。  
 
   
  PST(Practical Self-Training)の構築
鈴木信夫
東京厚生年金病院泌尿器科


環境影響生化学教室では,酵素学・代謝学・栄養学を主として取り扱う生化学教育を担当しているが,最近,PST(Practical Self-Training)法を構築した。このPST法では,学生自らがテーマを決め,約10ヶ月間の学習内容を報告する。生化学の学習を基本とし,医師国家試験問題も視野に入れながら,実地体験と社会文化論も加えての総合的学習法である。従って,PSTは,将来,他学部でのカリキュラムをも内包する学際的総合学習へと発展するものである。また,大学教官に求められている研究・教育・アウトリーチ活動といった三位一体の義務を教育現場で学生と共に具現化するものである。  
 
   
  千葉大学における人体骨標本の保管環境整備と医学研究の推進に向けて
松野義晴 坂上和弘1) 太田昌彦 宮宗秀伸 門田朋子 小宮山政敏 千葉胤道2) 森 千里
千葉大学大学院医学研究院環境生命医学 1)東北大学大学院医学系研究科人体構造学 2)千葉大学名誉教授


1.千葉大学医学部所蔵骨標本の由来と保管状況の改善に向けて
   千葉大学医学部(以下,本学)所蔵の骨標本は,旧解剖学第一講座の初代教授であった小池敬事教授が収集され,三橋公平元札幌医科大学教授が管理運営にあたっていたといわれているものである。この標本は,1927年から1944年の間に亡くなられた後本学に提供された288個体の現代日本人*で構成され,性別・年齢・出籍地が記録されており,一部では死因も記載されている。三橋元教授はこのコレクションを用いて,1959年に「関東日本人頭蓋骨の人類学的研究」という論文を発表された[1]。骨標本の一部は,三橋元教授が札幌医科大学の教授に就任されていた時期に札幌医科大学に移管されたが,現在では千葉大学に返還されている。  返還後については,骨学の教育を担当する本学の解剖学第三講座(現,神経生物学)の千葉胤道前教授(千葉大学名誉教授)が中心になり,本館地下の標本室において骨標本の保管にご尽力いただいた。その後,千葉前教授の退官(平成15年度)にともない,骨標本の保管が解剖学第一講座(現,環境生命医学)に移行し,現在に至っている。  本学医学部本館は歴史古き貴重な建物であるがゆえに,骨標本室は空調機を有すとはいえ,適切な標本管理が維持できる状況ではないことが,これまでにも問題視されてきた(写真1)。しかしながら,平成16年度の予算申請が認められたことを機に,新たに本学看護棟内の一室に骨標本室を構えるに至ったため,本論では,骨標本室の保管環境整備の状況を含め報告する。  *現代日本人: 現在,人類学を専門分野とする研究者間においては,明治維新以後の人体骨を総称する際に,多くの専門家が“現代”あるいは“近代”日本人骨と表現している。本学の所有する骨標本の提供者の多くが,明治維新以降に出生し,1927(昭和2)年から44年(昭和19)年の間に亡くなられた方々であることから,本教室では「現代日本人」と表記している。

2.人体骨標本の保管環境の改善
2-1.解剖学・人類学からみた現代日本人骨標本の意義
 千葉大学医学部に管理されている現代日本人骨標本を利用する可能性が高い研究分野としては肉眼解剖学や自然人類学が挙げられる。これらの分野では骨形態を数量化し,複数の集団間において比較することで骨形態と機能との関わりや集団の特性といった問題を追求している。中でも現代人の骨はその個体に関する情報(年齢や性別など)が得られるため,日本のみならず世界的にも研究対象や比較集団として頻繁に用いられている。  しかし,現存する現代人骨のコレクションはその規模や数が決して多いわけではない。例えば,世界最大の標本数を誇るアメリカ合衆国オハイオ州にあるクリーブランド自然史博物館ですら約3,000個体の標本数しかない。また,日本で最大の現代人骨標本数を持つコレクションは東京大学総合研究博物館であり,約800個体存在する。全世界における現代人の骨標本のコレクションは大小含めて約40箇所程度存在するが,千葉大学の288個体を越える個体数を持つ機関は12箇所しか公表されていない[2]。  また,これらのコレクションは年齢と性別が判明しているものであるが,全身骨格が揃っているものは少ない。例えば,頭蓋骨のみといった部分骨のコレクションである場合も少なくない。さらに,年齢分布や性比に偏向があるコレクションも多い。

2-2.千葉大学医学部所蔵骨標本の価値と現状
 前述のように,千葉大学医学部所蔵骨標本は,年齢・性別といった付随情報が豊富であるだけではなく,全身骨格が揃ったコレクションであり,その規模も世界的に見て決して小さいものではない。そのため,解剖学的にも自然人類学的にも標本価値は極めて高い。国内外から本学を訪れる研究者がいることからも明らかである。  これほどのコレクションでありながら,本学が所蔵する現代日本人骨標本は,医学研究にさほど利用されていない状況にあった。その主な理由は,札幌医科大学に長期間移管されていたため,本学解剖学スタッフにおいてさえもこれらの標本の把握が十分に成されておらず,骨標本移管後の利用申請の提出先も外部の人間にとっては不明であった事が挙げられよう。ただし,現在においては千葉前教授,森教授,および人類学の専門家であり本学コレクションの骨標本価値を本学解剖学スタッフに指摘した東北大学の坂上助手のご尽力によって,これらの問題は解決されつつある。  また,本学の骨標本コレクションは保管・管理システムの不備という大きな問題点を抱えていた。すなわち,具体的な事象として,  1)骨標本の保管場所の温度・湿度管理  2)骨標本の木製収納箱の破損  3)個体別の区分けの混乱  4)骨標本の補強・修繕の不備 の四点が列挙される。

2-3.千葉大学医学部骨標本室の改善
 冒頭に記すとおり,平成16年度の予算申請が認められたことを機に,新たに看護棟内の一室に骨標本室を移設することになった。新たな室内(写真2)には除湿機能を有す冷暖房装置,骨標本棚(書架棚にみられる水平移動を容易にし,効率的に収納が可能となるロッカー)およびダンボール製の収納箱,さらには骨標本の計測のための機器および標本の画像データの入力・保存に必要となる高画質デジタルカメラおよびコンピュータ類を導入した。また,防犯面への配慮として,窓ガラスには特殊コーティングを施し容易に外部からの進入ができぬよう対処している。なお,本館から看護棟の新たな骨標本室への移動については,経費の関係から専門業者ではなく,本教室員によるヒューマンパワーに依存せねばならなかった。骨標本は,旧来の標本室において収められた木製収納箱から新たに緩衝材を敷き詰めた段ボール製の収納箱へ個別に収納した後,注意深く自動車にて移動した(医学部本館と看護棟は約500mの距離にある)。移動に要した日数は,丁重な扱いが必要なことから三ヶ月を要し,全ての骨標本の移動を完了した。この結果,適正な温度・湿度の維持を可能とした点,骨標本を収納している木製箱本体(特に箱底面に亀裂が生じているもの)の破損および箱本体の重量が重く標本を利用する際に落とす危険性が減じた点,さらには数例見受けられた同一標本箱に二体分の骨標本が収納されていた問題点を解消するに至った(写真3)。よって,前節において記した,問題点の1)から3)の事項をクリアしたことになる。  ところで,4)に掲げる問題点である「骨標本の補強・修繕の不備」については,現在のところ未着手の段階にある。この対応については,これまでの保管場所の状況から,長期間温度・湿度が管理されていない場所に保管されていたため,骨が脆く壊れやすくなっており,特に,計測や観察などに標本を利用する際に,いかに注意しようとも大なり小なりの破損が骨に生じてしまう恐れからである。現時点では,「セメダイン」などの接着剤をアセトンで希釈した溶液で骨を補強する作業の必要性が考えられるが,これには修繕を施す側のテクニカルな問題を抱えており,今後の迅速なる対応が待たれる。

2-4.骨標本に関する特別セミナーの開催
 本学の骨標本室の保管環境整備が整ったことを機に,国外の人類学および骨学の見識者を講師にお招きし,2005年10月31日に教室主催の特別セミナーを開催するに至った。セミナー当日は,学内関係者を含め15名の参加者が集い,骨に関するこれまでの研究成果の発表を行っていただくとともに,それに付随した活発な情報交換が行われた。紙面の関係上,内容の詳細については省略するが,本セミナーの講師である国立台湾大学医学部解剖学および体質人類学研究室(以下,台湾大学医学部解剖学研究室)の名誉教授でもある蔡菟圭先生を紹介する(写真4)。そもそも,台湾大学医学部解剖学研究室では,本教室の森教授の祖父にあたる森於菟(もり おと: 1890-1967)博士が東京大学医学部を卒業後,ドイツ留学を経て1936年から1947年(当時は台北帝国大学医学部)まで教授として就任されていた。於菟博士は第二次大戦の終戦後まで在職中に医学部長を勤められ,台湾国内の多くの医師の育成に尽力された。また,於菟博士は1960年代に本学において骨学の非常勤講師を務めておられた。その縁から,本教室は台湾大学解剖学研究室と交流を深めている状況にある。台湾大学との交流の詳細については先行文献[3]を参照されたい。於菟博士の最後の教え子でもある蔡先生は,80歳を越える現在においてもほぼ毎日研究室に足を運ばれ,台湾大学が保有する2,000体を超える骨標本を管理する一方で,現在においても人類学の研究をなされている。いわば,骨学のパイオニアの一人であるといっても過言ではなく,本セミナーにおいて骨学に関する基本的な知見と中国の風習にある“纏足(てんそく)”**について骨学の専門的立場からの意見を交えた大変興味深いご発表をいただいた。  **纏足(てんそく): 中国で,女性の足を大きくしないため,子供のときから親指を除く足指を裏側に曲げて布で固く縛り,発育をおさえた風習。唐末ごろに始まり,宋代から流行したが,清末に廃止運動が起こり,清滅亡後消滅した(小学館「大辞泉」より)。

2-5.今後の医学研究への提供
 本学の骨標本コレクションはその規模や質の点において世界に誇れるものである。これらの骨標本の医学研究への提供は,例えば食事等の生活環境および外的要因の変化などといった歴史的な背景から生ずる骨格形成の変遷を明らかにすることができ,これは人類の基礎データの更なる蓄積に貢献できよう。また,各部位毎による骨標本の計測によって,人工関節あるいは義肢等の開発に必要となるデータの拡充を可能とすることが期待される。今後この点を内外の研究者に広く喧伝し,肉眼解剖学や自然人類学の研究者が利用しやすい環境を整えることで日本のみならず世界的にも研究対象や比較集団として頻繁に用いられることが予想される。さらに,医学研究・教育および本学において積極的に受け入れを行っている医療従事者養成課程(コメディカル)の解剖見学への骨標本の提供を検討している段階にある。それが,骨を提供いただいた方々への報いであると本教室関係者は考えている。本論をお読みになり,特に骨標本を用いた研究の取り組みをお考えの諸先生におかれましては,本教室まで連絡をお待ちしております。

おわりに
 本学において所蔵する骨標本の価値は高く,これを後世の研究者に残す一念から教室を挙げて取り組んできた。今回,この紙面をお借りしその報告をするとともに,骨標本の維持のために予算配分いただいた本学本部関係者にお礼申しあげます。また,本学に貴重な骨を提供いただいた献体者各位のご冥福をお祈りするとともに,深謝いたします。
 
   
  臨床研究者に求められる臨床以外の知識
関根郁夫 国立がんセンター中央病院 肺内科


   現代においては,大学を卒業したらもう何かを学ぶ必要はなくなるということは希で,社会人になってからそこで要求されることを必死に勉強するというのが普通であろう。医師も例外ではなく,医学部を卒業してからが,本当の勉強の始まりである。しかし,学ぶ内容によってはできるだけ若いときに勉強しておいたほうがいいこともある。特に臨床研究者にとって,病気の診断と治療のこと以外に知らなければならない内容が,最近どんどん増えており,それらをいかに効率よく学んでいくかをそれぞれが考えていかねばならなくなった。そのような内容として,分子生物学,生物統計学,生命倫理,法律と制度等が挙げられる。

1.分子生物学
 分子生物学は基礎医学に含まれる分野の1つで,医学生時代に手ほどきを受けているが,この分野は進歩が極めて速いため,医師になって6〜7年もすれば新たに勉強し直さなければならない。それでもつい先頃までは,患者を診察するのに分子生物学など知らなくても困ることはなかった。しかし,分子標的薬の台頭によって状況が一変した。ゲフィチニブは,上皮成長因子受容体(Epidermal growth factor receptor: EGFR)チロシンキナーゼ阻害薬で,EGFR自己リン酸化部位でのATPの結合を競合的に阻害する。特にEGFR蛋白のチロシンキナーゼ活性がある部分をコードしている遺伝子に変異がある肺腺癌に対しては著明な効果を示し,腫瘍が劇的に縮小する[1]。この薬剤については新聞などで大きく取り上げられたことから,多くの患者がEGFRや突然変異などについての知識を持っており,医師の方もこれらについて熟知していないと,患者が満足するような説明をすることは難しい。先日,米国人研究者による癌遺伝子と発癌についての招待講演を聴いた際にいくつか質問をしたが,この分野の大家である彼が「Oncogene addiction model」[2]を全く知らなかったことには驚いた。このモデルは第3世代のトランスジェニック・マウスを使って実験的に証明することができる[3]。しかし,より興味深いことは,チロシンキナーゼ阻害薬が有効な場合には極めて速やかに大幅な腫瘍縮小効果が得られ,止めると再び極めて短時間に腫瘍が増大するというベッドサイドでの観察を,きれいに説明できることである。臨床家と基礎医学者がそれぞれお互いの領域に関心を持ち,踏み込んだ討論をすることが,現在ほど強く求められている時代はないであろう。

2.生物統計学
 生物統計学は大きな1つの学問領域であり,高校レベルを超えた数学を用いることから,臨床医がその全体像を把握することは不可能である。しかし,臨床研究を計画したり結果を評価したりするときには必要不可欠なものであり,臨床研究者は,少しでも理解を深めるよう日夜勉強に励んでいる。Primary endpointを設定し,それを適切に評価できるような必要症例数を計算するという作業は,もう一度その臨床研究の意義を問い正し,研究の実行可能性を吟味するいい機会となる。治験は,primary endpointの設定や解析方法についての新薬臨床評価ガイドラインに沿って行われている[4]。先日,「抗悪性腫瘍薬の臨床評価方法に関するガイドライン」が改訂され,厚生労働省医薬食品局審査管理課長通知で示された(薬食審査発第1101001号,2005年11月1日)。臨床研究の結果を解析するには,一昔前までは記述統計学と簡単な推定統計学を少しかじっておけば十分であった。ロジスティック回帰分析やコックス・比例ハザード解析などの多変量解析が使われるようになっても,ただ変数が多くなったというだけで感覚的な理解が可能であり,SPSSやStatviewなどの市販統計ソフトウエアーを使って論文を書くことができた。ところが,脳の情報処理を扱うための複雑系理論とか,ゲノムなどの生命情報を解析するバイオインフォマティクスの発展は,多くの臨床家にもう基本的な概念さえ理解することが困難であるという暗澹たる気持ちを起こさせることとなった。しかし,こういった問題をすべて統計の専門家に任せておけばいいというわけではない。次のような例がある。マイクロアレイ技術は1回に2万程の遺伝子発現を調べることができるが,この技術を使って,ある癌の予後や化学療法の治療効果を,数10症例から得られた癌細胞における10〜50個の遺伝子発現の組み合わせから予測するという試みが盛んに行われている。しかし,予測するのに有用として抽出された遺伝子を見ると,その遺伝子がコードしている蛋白質の機能があまりその疾患とは関係ないものばかりで,反対に従来重要とされてきた遺伝子はほとんど捕まってこない。また,その遺伝子のリストは各報告によってばらばらであり,再現性,信頼性のある結果が得られていない[5]。これは,解析すべき遺伝子の数に比べて訓練サンプル数(症例数)が圧倒的に少ない時に,どうやって解析するかという統計的パターン認識理論上の問題に帰着されるが,現在のところ,次元数(遺伝子数)の5倍から10倍の訓練サンプル数,すなわち10〜20万症例を用意するという方法以外に,普遍性をもって安定した解を得る方法は確立していない[6]。従って,出てきた解答が正しいかどうかは,統計学では決められず,生物学的,あるいは臨床的に検討する必要がある。

3.生命倫理
 生命にかかわるさまざまな倫理は,古くは患者の生命を預かる医師に求められた「医の倫理」が中心だった[7]。近年,脳死臓器移植や体外受精の実現,さらにクローン技術やヒトゲノム研究の展開など,科学技術の進展に伴って急速に対象が拡大し,複雑化している。人体を対象とする医学研究の倫理原則としては,1964年に世界医師会(WMA)で採択された「ヘルシンキ宣言」があり[8],また,28条からなる「生命倫理と人権に関する世界宣言」が近く国連教育科学文化機関(ユネスコ)総会で採択される見通しである。我が国では,ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針(平成13年文部科学省,厚生労働省,経済産業省,平成16年全部改正,平成17年一部改正)[9],臨床研究に関する倫理指針(平成15年厚生労働省告示第255号,平成16年厚生労働省告示第459号)[10]などが告示された。これらの指針は,個人情報保護に係る議論等を踏まえ,倫理面で必要な手続と臨床研究者が遵守すべき事項の基本的な原則を明らかにしたものである。さらに,癌を対象にしている臨床研究者は,臨床研究の相に特有な倫理的問題にも精通している必要がある。抗がん剤の第T相試験は,新薬を初めてヒトに投与する段階であり,primary endpointは,毒性を評価し,第U相試験での至適投与量を決定することである。ここでは,毒性を評価するという科学的研究目的と,治療効果を得るという第T相試験に参加する患者の目標が乖離していること,進行癌患者は,何とか病気をよくしたいという想いから,「藁をもすがる」気持ちになり,他人からの強制や誘導に従いやすくなるといった問題がある。抗がん剤の第U相試験では,新薬の単剤第U相試験で得られる奏効率は,患者の期待する奏効率よりもかなり低いこと,抗腫瘍効果の判定のためには未治療例を対象とすることが望ましいが,有効な標準的併用化学療法が存在する場合にはそれが非倫理的行為となることといった問題がある。第V相試験における問題点は,本試験はどちらの治療法が優れているかを比べるものであるから,一方の治療法が他方よりも優れている可能性があり,劣っている治療法で治療された患者が不利益を被る場合があること,無作為に治療法が決められるため,患者の自律性が侵害される可能性があることである[11]。これらの倫理的問題は,臨床試験の計画そのものや,インフォームド・コンセントの過程に大きな影響を与える。

4.法律と制度
 臨床研究者にとってとくに重要なのは,治験に関する法律,省令,通達,通知である[12]。従来,治験は製薬会社が勝手に準備するものと考えていた医師が多かった。しかし,1996年の薬事法等の一部改正(平成8年法律第104号)と翌年の医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令(平成9年厚生省令第28号)の発布による新しい医薬品の臨床試験の実施に関する規準(新Good Clinical Practice: GCP)の施行によって,対岸の火事とは言えなくなった。この薬事法改正は,1989年に発布された医薬品の臨床試験の実施に関する規準(厚生省薬務局長通知・薬発第874号)(旧GCP)を,新薬開発における日米欧三極間での共通基盤形成のための国際会議(International Conference on Harmonization of Technical Requirements for Registration of Pharmaceuticals for Human Use: ICH)で求められている水準に引き上げることを目的として行われた。その結果,治験責任医師や治験分担医師に課せられた業務と責任が大幅に増えた。さらに,2002年の薬事法及び採血及び供血あっせん業取締法の一部改正(平成14年法律第96号)と翌年の医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令の一部を改正する省令(平成15年厚生労働省令第106号)に基づく改正GCPにより,いわゆる医師主導型治験の仕組みが設立された。これにより,医師が未承認薬あるいは既承認薬の新たな効果効能の申請を目的に臨床試験を行えるようになったが,医師主導型治験には一般の治験と同等の信頼性が必要であり,医師は上記以外にも,12の法令・通知や行政組織について熟知する必要がある[13]。  

以上の事項に共通しているのは,1)それぞれが臨床医学全体に匹敵するくらい大きな学問領域を形成していること,2)内容を理解するためには高校卒業レベルの知識では追いつかず,また臨床医学とは全く異なるセンスが求められること,3)日進月歩で日々内容が新しくなること,4) それぞれの分野に専門家がいるが,臨床医と彼らとの交流には大きな制約,制限があること,などである。本当に統計を理解するには,20代前後までに線形代数の基礎をみっちり叩き込んでおかないと無理という指摘や[14],40歳を超えた司法試験合格者が希であることなどから,30代40代の臨床医が必要に迫られながらその都度独学でこれらの周辺領域の内容を理解していくには,限界があると考えられる。20代前半での基本的なセンスを身につけさせる教育と,その後生涯に渡り,臨床に関連した項目については,その進歩について行けるような教育が必要であろう。  それぞれの分野の専門家とタイアップしながら研究を進めていくという姿勢も大切なことである。しかし現状では,たとえ運良く専門家が身近にいたとしても,そのような専門家はご自身の本来の研究や業務で忙しく,臨床試験に特有な慣習や問題に疎いこともあって,上手く話し合いがつかないことも多い。従って,臨床試験に興味を持ってくださる専任の専門家が必要になってくる。そのためには,そういった人材を有効に活用出来るようなしくみがなければならない。そのような試みの例として,米国におけるGeneral Clinical Research Center(GCRC)がある[15]。GCRCは,National Institutes of Health (NIH)の支援を受けて1960年から始まり,現在80の大学に設置されている。GCRCは,当初リサーチナースが配置された病棟として始められたが,現在では生物統計学者,栄養学専門家,コンピューター技術者などが常在し,臨床研究を行うのに必要なインフラ・ストラクチャーを系統的に提供している。日本に於いては,Japan Clinical Oncology Group (JCOG)のデータセンター[16]や,京都大学医学部附属病院探索医療センター[17]が参考になると思われる。すなわち,大学や施設で行う臨床研究を統括するセンターを作り,そこに専任専門家を配置するという考え方である。国立がんセンターでも,そのような組織を作るべく検討中である。

文  献

1) Takano T, Ohe Y, Sakamoto H, Tsuta K, Matsuno Y, Tateishi U, Yamamoto S, Nokihara H, Yamamoto N, Sekine I, Kunitoh H, Shibata T, Sakiyama T, Yoshida T, Tamura T. Epidermal growth factor receptor gene mutations and increased copy numbers predict gefitinib sensitivity in patients with recurrent non-small-cell lung cancer. J Clin Oncol 2005; 23: 6829-37.
2) Jonkers J, Berns A. Oncogene addiction: sometimes a temporary slavery. Cancer Cell 2004; 6: 535-8.
3) Fisher GH, Wellen SL, Klimstra D, Lenczowski JM, Tichelaar JW, Lizak MJ, Whitsett JA, Koretsky A, Varmus HE. Induction and apoptotic regression of lung adenocarcinomas by regulation of a K-Ras transgene in the presence and absence of tumor suppressor genes. Genes Dev 2001; 15: 3249-62.
4) 日本公定書協会編.新薬臨床評価ガイドライン.東京: 薬事日報社 1991.
5) Michiels S, Koscielny S, Hill C. Prediction of cancer outcome with microarrays: a multiple random validation strategy. Lancet 2005; 365: 488-92.
6) 浜本義彦.統計的パターン認識: 過去・現在・未来.信学技報 2000; 69-76.
7) 日本医師会.第[次生命倫理懇談会.「医療の実践と生命倫理」についての報告.Available at: http://www.med.or.jp/nichikara/seirin15.html 2004.
8) ヘルシンキ宣言.日本医師会訳.available at: http://www.med.or.jp/wma/helsinki02_j.html 2004.
9) 文部科学省,厚生労働省,経済産業省.ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針.Available at: http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/seimei/genomeshishin/05062701.htm 2004.
10) 厚生労働省.臨床研究に関する倫理指針.available at: http://www5.cao.go.jp/seikatsu/kojin/gaidorainkentou/rinshou.pdf 2004.
11) 関根郁夫.癌臨床試験における生命倫理.In 西條長宏 (eds): 癌治療の新たな試み 新編U,大阪: 医薬ジャーナル 2000; 313-23.
12) 山中康弘,藤原康弘,森 和彦.抗がん剤の承認申請までの開発過程. 呼吸器科 2005; 7: 451-9.
13) 藤原康弘.医師主導型治験の今後の発展と問題点.小児外科 2004; 36: 855-61.
14) 福田治彦.「臨床医」と「解析者」のハザマで(その3).国立がんセンターニュース 1994; 101: 11.
15)National Center for Research Resources. Available at: http://www.ncrr.nih.gov/ 2005.
16) Japan Clinical Oncology Group. Available at: http://www.jcog.jp/ 2005.
17) 京都大学医学部附属病院探索医療センター.Available at: http://www.kuhp.kyoto-u.ac.jp/%7Etrc/index.htm 2005.

(無断転載を禁ず:千葉医学会)
 
   
  〔特別講演〕恩師に学んだ東洋医学の手習い草紙とその展開
鍋谷欣市 杏林大学名誉教授・昌平クリニック院長 


はじめに
 私と東洋医学との馴れ染めは,1948年千葉医科大学(当時)入学の年に遡る。その後,外科学を専攻しながらずっと東洋医学の世界にも学んでいるが,およそ四つの時代を経過してきたと思われる。多くの恩師に学んだ理念を回顧してみたい。

1.千葉大学学生時代
 日記によれば,1948年入学して間もなく,千葉医科大学創立25周年記念文化祭が行われた。そのやや後,6月19日の東洋医学研究会自由講座に出席し,研究会に入会した。10月16日,眼科学伊東彌恵治教授の自由講座では,インド医学のススルタ・サミータ大医典に関するもので,中国では甘酸辛苦塩の五味であるが,インドでは渋味を加えた六味であるなど,忘れえぬ感動を覚えたものであった。  2年目に東洋医学研究会のキャプテンになった頃,伊東教授から「日本歴史」という雑誌をお預りした。巻頭の「明治医学に貢献したる外国文化」[1]という先生の論文があり「漢方は全体医学的立場にあるものであって,西洋で発展した解剖学的器官医学とは異なるものである。而も永年の経験と実績を示して居るが,これを排するものは経験医学だからよくないと言う。私は逆に経験医学であるから其の中には真理があると断ずるものである。故にこれを排した事は何としても過誤である」と述べておられた。この理念は,今も私の最も重要な基本理念の一つである。  同じ頃,先生は千葉医科大学に東洋医学研究所を設置せんとの趣意書を文部省に呈出したが認められなかったという。爾来約60年,千葉大学和漢診療学講座が創設され,寺澤捷年教授が着任されたことは,同慶の至である。  東洋医学研究会では,部活動のほかに藤平健先生,小倉重成先生との古典輪読会に参加した。傷寒論,金匱要略,類聚方広義を輪読し,患者の腹症を実地見学した。また,長浜善夫先生,伊藤清夫先生,さらに大先輩の和田正系先生にも指導を戴く機会に恵まれた。和田先生は,「医界の鉄椎」を著された和田啓十郎の嫡男でその気質を継承され,「人生意気に感じては功名誰かまた論ぜん」の気概を持たれ,特に「気というものは形はないが,働きがある」と気の意義を教えられた。  1950年頃,私は学生の身分であったが,奥田謙蔵先生への入門が許され,自宅に参上して講義を拝聴するようになった。先生は傷寒論研究の第一人者であり,一字一句をゆるがせにしない厳しい学究態度であった。著書の一つの傷寒論講義[2]では,「証とは疾病の証拠なり。即ち身体内に於ける病変を外に立証し,以て其の本体を推定し,之を漢方に質すの謂なり」と述べているが,この理念は現代医学にも導入すべき理念であると思っている。  1953年2月10日,先生は上野の根津宮永町から市川市菅野の不動尊境内へ転居することになった。弟子のなかで私だけが都合ついたので参上した。一段落のあと,先生は書き込みのある「古方便覧」と,先生自筆の七言絶句の原稿用紙を頂戴した。  

 昭和二十八年元旦   炊煙生
 歳端祥瑞満乾坤 四海春風滅凍痕
 癸巳改年初一日 小齋先讀古方論

2.千葉大学第二外科時代
 大学を卒業し,インターンを終了して第二外科へ入局した。入局4年目1956年9月29日のことであった。恩師の中山恒明教授から,「手遅れの噴門癌患者が,藤瘤とやらの漢方を飲んで経過がよいから,よく調査研究せよ」と命ぜられた。私はその10数種類の生薬の中から抗癌作用があるかと思われた藤瘤,訶子,菱実,苡仁の4味を採出し,頭文字をとってWTTCと命名,以後多くの実験研究と臨床治験を行ったのである。主な結果は,1958年と1960年の日本癌学会総会において発表[3,4]した。マウスではアルコール抽出液で当時のブレオマイシンに近い延命効果を認めたが,臨床例では延命効果を認めたものの完治例はなかった。この発表は,外科領域における漢方の展開の第一歩であったと思われる。  中山教授は「人生は経験である」との信念を持たれ,何事も始めることが成功の第一歩であり,止めないことが成功の鍵であると教えられた。

3.杏林大学第二外科時代
 1973年,私は杏林大学第二外科教授として赴任した。早々に,胃切除術の吻合の前に十二指腸から小腸の方へ,中国の扶正理気湯という漢方を注入して,術後の排ガスが促進されることを追試した。1976年,漢方製剤の保険採用に伴い,外科手術前後における臨床研究を開始した。1982年には,第16回和漢薬シンポジウムにおいて,「和漢薬投与による術前術後の全身状態の修復」[5]の特別講演を担当した。また,1979年三多摩漢方臨床研究会,1985年消化器外科漢方研究会,1991年にはこれを外科漢方研究会として発足させ今日に至っている。  1992年,第43回日本東洋医学会学術総会会頭となり,「恩師に学ぶ東洋医学の理念」[6]の会頭講演を行った。この年は日本東洋医学会の日本医学会加入が認められ,会員数も1万名を越えたのである。  この頃,私は胃切除,腸切除などの臓器欠損病態における漢方は,古代には見られなかった新しい漢方であることを提唱した。

4.昌平クリニック時代
 運命は不思議なものである。私の停年の年の暮,藤平先生が開設した湯島の昌平クリニックを継承してほしいとの要請があった。私は外科を引続き1両日は赤坂病院の方でやることとし,昌平クリニックでは東洋医学の展開に努力すべく院長を引受けた。  現在は,西洋医学で難病とされている多くの疾患の治療に取組んでいる。最近は潰瘍性大腸炎の粘血下痢便の治療に,桃花湯合黄土湯変方(桃黄湯[7,8]と命名)を用い成果を認めている。また,冷え性の患者が多いことから,瞬間皮膚温度計を用いて体表の皮膚温を測定し,あるいは白血球像の顆粒球数,リンパ球数を測定し,免疫能判定の参考にしながら漢方を選択している。

おわりに
 恩師に学んだ東洋医学の理念は,あらゆる医学に共通する理念である。患者の病態(証)は刻々と転変するが,これを正しく診断,治療することこそ東洋医学の真髄である。

文  献

1) 伊東彌恵治.明治医学に貢献したる外国文化,日本歴史,通巻21号: 1948: 1-10.
2) 奥田謙蔵.傷寒論講義,東京: 医道の日本社,1965.
3) 鍋谷欣市,中山宗春,鈴木恵之助 ほか.ハトムギ抽出物の抗癌作用に就いての研究,癌 1959; 49: 51.
4) 鍋谷欣市 飯島嘉之.WTTCの抗癌作用,GANN,1961; 51: 61-2.
5) 鍋谷欣市 李思元.和漢薬投与による術前・術後の全身状態の修復,WAKAN-YAKU 1983: 201-6.
6) 鍋谷欣市.恩師に学ぶ東洋医学の理念,日東医会誌 1993; 43: 329-39.
7) 鍋谷欣市.潰瘍性大腸炎の下痢・粘血便に対する桃黄湯の薬効,寺澤捷年,花輪壽彦編.漢方診療二頁の秘訣,東京: 金原出版 2004: 262-3.
8) 鍋谷欣市.桃花湯合黄土湯変方(桃黄湯)由来記,漢方の臨 2005; 52: 1975-80.

〔招待講演〕漢方医学の普遍性を如何に担保するか ―異なったパラダイムの和諧を求めて―
寺澤捷年 千葉大学大学院医学研究院 和漢診療学 教授


はじめに
 漢方は言わば経験知の世界である。経営学者の野中郁次郎氏は「暗黙知と形式知」という用語を用いているが,これに倣えば漢方は「暗黙知」の集積で成り立っている。近代西洋医学が形成されて約150年。この間の進歩発展は目覚ましいものがあるが,それはこの医学が普遍性・客観性・論理性を担保し「形式知」を積み上げることに成功したからに他ならないと筆者は考えている。  それでは漢方において「暗黙知」を「形式知」にして行くにはどの様な課題を克服しなければならないだろうか。ここでは漢方の病態理解,薬物,基礎研究,臨床研究についてこれまでに筆者が辿ってきた足跡から,この問題を考えてみたい。

1.病態理解
 漢方医学の病態生理観は陰陽論あるいは気血水論を基盤に成り立っているが,これら病態認識の記述は極めて散文的である。そこで,筆者は各種の診断基準を提唱し,形式知へと近づける努力を重ねてきた。その成果を述べる。

2.薬 物
 漢方医学では天然に産出する生薬を複数組み合わせて「方剤」を組み上げている。一つの生薬にも多数の既知・未知の化合物が含まれており,これを複数組み合わせた「方剤」はさらに複雑な成分内容になっている。しかし,ある「方剤」の薬理作用や臨床効果を評価する場合,その普遍性の担保は必須の要件である。そこで筆者は3次元高速液体クロマトグラフィーの技法を用いて,方剤を一つの薬物単位と考える方法を提案している。その概要を述べる。

3.基礎研究
 筆者は観念論的な要素の大きい漢方医学の病態生理観の妥当性を検証するために種々の工夫を行って来たが。ここでは「血の滞り」と認識される病態の解析について,微小循環の観察結果とプロテオーム解析の結果を報告する。

4.臨床研究
 漢方方剤を一つの薬物単位と考え,その臨床効果を無作為化試験などで明らかにしてきた。無作為化試験を実施する場合の問題点も含め,その成果を報告する。

おわりに
 漢方医学の世界が,何故これまで「暗黙知」の世界に留まっていたのだろうか。その理由の一つは,この医学の体系が「心身一如」の立場に立っているからである。自然科学を成り立たせている3要素,即ち普遍性・客観性・論理性を担保するには「計量化」が必要である。しかし「心」は本来的に計量化出来ない。また,自然科学が有力な方法論としている要素還元論からは人間存在の統合的かつ個別的な理解は不可能である。  結論的に言えることは,漢方医学と西洋医学との緊張感を持った「和諧」の中で,可能な限り漢方医学を「形式知」へとその範囲を拡大して行くことであろう。
 

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