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千葉医学雑誌一覧
 
千葉医学 79 (4) :135-181, 2003

総説
言語機能
 下山一郎(和文・PDF
 
症例
腫瘍減量手術を行った肺癌口腔転移の2症例
 武川寛樹 中津留誠 小野可苗 椎葉正史 宮川昌久 横江秀隆 鵜澤一弘 丹沢秀樹(和文・PDF)

話題
高気圧酸素療法の臨床:泌尿器科,外科,内分泌領域を中心として
 中田瑛浩 斉藤順之 千見寺勝 香田真一 樋口道雄 川田欽也 石田 修 高橋佐和士
 伊藤晴夫 久保田洋子 笹川五十次 冨田善彦(和文・PDF

海外だより
NIHでの私
 加藤治郎(和文・PDF

学会
第1061回千葉医学会例会・第20回千葉精神科集談会
第1062回千葉医学会例会・第20回第二内科教室例会
第23回千葉県胆膵研究会

雑報
2002FIFAワールドカップ トルシエジャパンのチームドクターとして
  森川嗣夫(和文・PDF

編集後記(和文・PDF)

 
   
  腫瘍減量手術を行った肺癌口腔転移の2症例
武川寛樹1) 中津留誠1) 小野可苗1) 椎葉正史2) 宮川昌久2) 横江秀隆1) 鵜澤一弘1) 丹沢秀樹1,2)
1)千葉大学医学部附属病院歯科口腔外科,2)千葉大学大学院医学研究院臨床分子生物学


進行した肺癌の口腔転移腫瘍2症例を経験したので報告する。症例は59歳,男性で右側上肺野原発腺癌の下顎骨転移例と,64歳,男性で左肺野大細胞癌の下顎歯肉転移例である。ともに口腔腫瘍摘出術と外部照射を行ない,口腔の疼痛・出血・摂食障害・会話困難等の口腔症状改善を得たが,呼吸不全にて死亡した。  一般に口腔悪性腫瘍中に占める転移性腫瘍の割合は1−8%と少ない。原発臓器は乳房,肺,胃,腎臓の順に多く,そのうち肺癌の占める割合は約30%と報告されている。  近年,肺癌が増加してきておりそれに伴い,肺癌の口腔転移症例も今後増加していくものと考えられるが,腫瘍減量手術を行ない口腔症状の改善を図ることは,患者のQuality of Life (QOL)を考える上で重要と思われる。
 
   
  高気圧酸素療法の臨床:泌尿器科,外科,内分泌領域を中心として
中田瑛浩 斉藤順之 千見寺勝 香田真一 樋口道雄 川田欽也 石田 修 高橋佐和士
伊藤晴夫 久保田洋子 笹川五十次 冨田善彦
1)斎藤労災病院,2)千葉大学大学院医学研究院遺伝子機能病態学
3)山形大学医学部泌尿器科


従来,潜函病を中心に行われてきた高気圧酸素(Hyperbaric oxygen, HBO)療法は最近,適応疾患を広めつつある。因みに放射線被爆により生じる放射線膀胱炎,放射線腸炎,放射線骨髄炎に対し有効である。  HBOには副腎皮質機能亢進作用があり,ステロイド投与が長期に及んだ患者のステロイド離脱にも応用できる。HBOと放射線療法あるいはHBOと癌化学療法の併用が,一部の悪性腫瘍にも効を奏すことがわかっている。脊髄損傷に対するHBOの治療成績の解釈は複雑で,その有効性は急性期に限られている。  HBO療法は癒着あるいは麻痺性のイレウスに対し高い有効率を示し,その分,手術件数は減少している。突発性難聴はHBO療法のよい適応であり,現在,この疾患が治療患者で最も多い。その他,虚血性病変の一部に試みられている。この治療の最大の欠点は治療装置の設立に高額な費用を要することである。
 
   
  2002FIFAワールドカップ トルシエジャパンのチームドクターとして
森川嗣夫 JEF健康保険組合川崎千葉病院スポーツ整形外科


 日本中を熱狂と興奮の渦に巻き込んだ 「2002 FIFAワールドカップ」が閉幕し1年になる。あの世界最大のスポーツイベントもはるか昔のように感じるこの頃であるが,私は幸運にも日本代表チームとともにチームドクターとしてワールドカップのピッチに立つ事ができた。  私は1998年フランスワールドカップの後,フィリップ・トルシエ監督が日本代表チームの監督に就任してから,代表チームのメディカル部門の責任者となった。最初の頃は,トルシエ監督はメディカルにも他の部門にも非常に細かいことまで指示してきた。例えばメディカルチームの体制はもちろん,メディカルルームの配置,診察ベッドの位置から,ゴミ箱の位置にいたるまで事細かく指示してきた。そういうことで当初はスタッフ皆ピリピリした空気の中で仕事をしていた。最後の頃にはそういう事にも慣れてきたが,監督の周りは最後まで同様な雰囲気が漂っていた。彼は理学療法士の資格を持っており,医学的な問題に関してはよく理解してくれ,やりやすい面もあったが,監督のほうからの医学的な要望も時々出された。  日本代表チームのチームドクターとして行ってきた仕事としては,1)メディカルチームの確立,2)薬品,器材の準備,3)メディカルチェックの実施,4)選手のコンディションなどの情報収集,5)コンディショニングの管理,6)傷害,疾病の治療,7)リハビリ,8)ドーピングコントロール対策などがある。

 1)メディカルチームの確立:日本代表チームのメディカルスタッフは,ドクター1名(2名で交代に帯同),トレーナー3名,管理栄養士1名で構成されている。  
 2)薬品,器材の準備:内服薬,外用薬,点眼薬,座薬,注射薬,点滴などの薬品に加え,縫合セット,ブレース類,超音波治療器,ホットパックなどの物理療法器材などの選定と整備を行う。  
 3)メディカルチェックの実施:合宿初日の集合時に簡単なチェックは必ず行いその状態を監督に伝える。また年一回(1月か2月の合宿時)45名ほどの候補選手全員に身体形態計測,MRIによる体幹・大腿の筋量測定,整形外科的なチェック,血液検査,歯科検診,眼科検診,フィジカルテストを行っている。(負荷心電図,胸部レントゲンなどの内科的なチェックは各所属チームで行っている。)  
 4)情報の収集:代表選手はJリーグのチームに所属しており,その選手が合宿あるいは大会に参加できる状態にあるのか否かを各チームドクターや本人と連絡をとり,事前に監督に伝えなければならない。判断に悩む時には,選手を呼んで直接診察することもあった。選手選考に際し,その選手がプレーできるかどうかの判断を下さなければいけないので,この作業には非常に神経を使った。  
 5)コンディショニングの管理:選手の体調を把握し,良いコンディションを維持させるようにする。コンディションの評価には,毎朝朝食前に全選手の体重を測り記録する。またトレーニング中の心拍数をハートレートモニターで記録し疲労の状態の評価の一つとする。コンディションの維持には栄養サポートを欠かす事はできない。管理栄養士がホテルのメニューのチェックをし,場所によっては食材の確保,調理まですることがある。またビタミン剤などの補助食品のコントロールを行う。  
 6)傷害,疾病の治療:合宿や試合中のけがに対する処置を行う。大きなけがの場合は原則として,所属チームで行う。試合中の大きなけがは意外に少なく,かぜ,熱発,下痢など内科的な問題のほうがよく起こる。  
 7)リハビリ:合宿参加以前に持っている傷害や試合中の軽いけがに対しては,大会中に復帰できるようにリハビリのメニューを組み状態を見ながらチーム練習に戻していく。この作業は主にトレーナーが担当する。ただ試合に使えるか否かはドクターと監督の協議のうえで決定される。  
 8)ドーピングコントロール対策:最近の国際試合ではドーピング検査が必ず行われる。こちらで準備する薬品はもちろん禁止薬物は試用しないが,選手自身が常用している薬あるいはサプリメントのチェックをする必要がある。試合終了後に尿を採取するが,尿が出るまでは選手に付き合わなくてはならない。

  トルシエジャパンはベスト16進出という目標を達成したが,必ずしもすべて順調に進んだわけではなかった。チームドクターとして最も神経を使ったことは,選手が良いコンディションでワールドカップに望むことが出きるか否かを判断することであった。最終的にメンバーが発表される前に,傷害や疾病のため最終メンバーに残れなかった選手や,治療,リハビリを入念に行ってやっと間に合った選手も何人かいた。ワールドカップイヤーの2002年になって発症した疾病には,腹膜炎1名,肺動脈塞栓症1名,虫垂炎2名などがあった。肺動脈塞栓症の1名は結局ワールドカップに参加することができなかった。傷害については,膝半月板損傷後の関節炎1名,ハムストリング肉離れ1名,後十字靭帯損傷2名,腓腹筋肉離れ1名などが候補選手に発生した。このうちの何人かは間に合ったが,残りの選手はメンバーからはずされた。  
 ワールドカップ期間中に発生した主な外傷は,足関節捻挫1名,鼻骨骨折1名(開幕直前の練習試合で受傷),足関節打撲後のしびれを訴えた選手が1名などだったが,いずれも重症ではなかった。  
 ワールドカップ期間中,日本代表チームは静岡県磐田にある葛城北の丸という和風のホテルにベースキャンプをはった。外界から完全にシャットアウトされ,ワールドカップも後半になると外出したいという選手も出てきたが,サッカーに集中できる良い環境であった。その一角にある離れ1棟をメディカルルームとして割り当てられた。広さも充分であり,通常の合宿では設置できない医療機器を設置する事ができ,選手のケア−に関してはうまく行ったと考えている。ホテルの食事も申し分なく,通常合宿期間が長くなると選手から食事の苦情が出てくるものだが,今回は食事についてのトラブルはほとんどなかった。また大会期間を通じ,選手のコンディションもよく,体重が落ちた選手はいなかった。  
 磐田市立病院が日本代表チームのバックアップ病院として我々を支えてくれた。小野伸二選手の虫垂炎や宮本恒靖選手の鼻骨骨折の際,その他何人かの選手がお世話になったが,時間をかまわず多くの先生方が熱心に診断,治療に協力してくれた。代表チームが良い成績を残せたのは少なからず磐田市立病院のサポートのおかげだと非常に感謝している。  
 2002FIFAワールドカップを振り返ってみると,大会が始まる前にはいろいろと問題が多くあったが,大会期間中は大きなトラブルは発生せず,決勝トーナメントに進出する事ができた。これは代表スタッフだけではなく,我々を支えてくれた多くの人たちのおかげだと考えている。ホームでワールドカップに参加した利点をつくづく実感した1ヶ月であった。  
 長年にわたり,代表チームの合宿,試合ごとに病院を空ける私を快く送り出してくれ,またカバーしてくれた整形外科の先生方,他のスタッフの皆様に感謝を致します。また長期間病院を空ける事を許してくれ,貴重な体験をさせていただいた明星志貴夫院長に感謝します。

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