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千葉医学 80 (5) :191-243, 2004

千葉医学会特講演
細胞周期と放射線 その2
 寺島東洋三(和文・PDF

症例
腰椎変性すべり症に馬尾神経鞘腫を合併した1例
 佐久間毅 大鳥精司 高橋和久 大河昭彦 青木保親 橋本光宏 男澤朝行 齋藤朋子 土屋 敢 守屋秀繁(英文・PDF
S状結腸絞扼性イレウスの1例
 阿久津泰典 松原久裕 遠藤正人 星野敏彦 吉永有信 太田義人 角田洋三 宮澤幸正 浦島哲郎 川島太一 落合武徳(英文・PDF

話題
亥鼻分館所蔵・医事文化資料について
 樋口誠太郎(和文・PDF

学会
  第1079回千葉医学会例会・第3回呼吸器内科例会(第17回呼吸器内科同門会)(和文・PDF1,2,3,4,5,6,7,8,9)
  第1084回千葉医学会例会・第21回千葉精神科集談会(和文・PDF1,2,3,4,5,6,7,8,9)
  第16〜25回千葉県輸血研究会(和文・PDF1,2,3,4,5,6,7,8,9)

編集後記(和文・PDF

 
   
  T.特別講演:細胞周期と放射線 その2
寺島東洋三  元放射線医学総合研究所 所長


 放射線効果と細胞周期
  20世紀の前半には,分裂増殖している組織,細胞がX線で損傷され易い,とくに分裂期にある細胞はX線感受性が高い,という観察が繰り返されてはいましたが,何一つ定量的な証拠はありません。そのうえ細胞に対する多種の放射線生物学的効果も何を標的に擬しているのか大いに曖昧であったのです。それでPuck教授のクローン技法,それに基づいた腫瘍細胞の生残曲線の決定(図1: 80巻4号 P.142)はとくに放射線医学における圧倒的な成果であったわけです。放射線は細胞に対してさまざまな効果を与えますが,その代表的な作用は細胞の増殖力に対する影響であることは今や明らかです。放射線には波動も粒子線もありますが,ここで私たちはイオン化放射線であるX線(200KeV)を代表として用いました。  X線の300ラドはHeLa細胞の80〜90%を致死させます。つまりその増殖力(集落形成力)を不活化するのです。いまや同調培養を手にした私たちはHeLa細胞の300ラド生残率を細胞周期の時間(細胞令)の関数として測定することができました[4]。図12の上図は生残率,下図は同時に取られたS期細胞の百分率で,DNA合成期の位置を表わしています。分裂期(M; 0時間)の細胞は噂に違わず最高の感受性を示しました。予期しなかったことは分裂が完了してG1期に入ると急激に抵抗性が表われたことです。これがG1期の進行とともに再び感受性を高め,G1−S移行期(8〜10時間)にそのピークに達し,S期の進行とともに再び抵抗性を表わし,G2−M(18〜22時間)にかけてやや感受性を示します。もし高い同調性が維持されていれば再びM期の生残率が現れるはずです。  この二峰性のレスポンスの上下では,ほぼ4倍の差があったのです。初めてコロニーを染め上げられたディッシュを並べたとき,私は実験の手違いではないかと危ぶみました。そして何度もプロトコルを確認すると真夜中のラボラトリーでギリシャ人の真似をして思わずユリーカと云ってみました(が心の中ではそのキザさ加減に頭を掻いているのです)。このディッシュを見たレナード(トルマック教授)も事態の把握と収拾にしばらく言葉がありません。やがて同調培養の分解能には私たちも驚き,敬意を表したものでした。G1初期の抵抗性の発生は核膜の完成やらクロマチンの分散など細胞の再構成と結び付くものだろうと思われたのですが,G1−S移行期の感受性はDNAの複製とどんな関係があるのか,これが問題として残りました。  私がラボラトリーを去ったあと,ドクター候補のフィリップスくん(後トロント大,生物物理,教授)が出してくれた500ラド生残率のデータが図13です。いろんなことが云えますが,これだけプロットすれば文句はないのでして,日本では余り見かけませんが,これも実験データの良い表わし方の一つです[6]。

DNA合成と放射線感受性
  図12,13で示されたように,周期の中ほど,G1−S移行期に感受性の回復(再現)が見られました。この感受性の発生はG1期細胞に起こる変化であるとしても,初期DNA複製に何らかの関わりがあるのでしょうか。前に述べたG1期における細胞活性のランダムネス,そのための同調性の崩壊によってG1とSとが混在しているままの形では,それは不分明です。  図14は図12と同じように横軸に同調培養が開始されてからの時間,縦軸が300ラド生残率です。一つの実験では6時間(G1中期)にDNA合成阻害剤のフロロデオキシウリジン(FUdR)を添加して移行期におけるDNA合成を停めました。するとG1期の感受性化は10時間を越えてもなお進行し,12時間以降に漸く停止するのです(黒丸)。そこで阻害を除くと急激なDNA合成が開始し,同時に抵抗性の発生することが分りました。(対照の白丸に4時間の生残率が抜けているのですが,1, 3, 5時間の黒丸が対照になります。)これで生残率の谷底はG1後期の細胞の蓄積であることが分ります。私たちの説明はこうです。G1初期のX線損傷は修復される十分な時間をもつが,S期に近づくにつれて修復が完了しないうちに複製に入ることになります。そこで,未修復DNAの損傷はS期でそのまま固定され,異常DNAが作られて生残率は低下すると考えました。これを修復仮説(repair hypothesis)と云います。これがS期に近いほど感受性が高まる理由だったのでしょう。上と同じことはデオキシアデノシンでDNA合成を阻害しても証明されます。  二つ目の実験では12時間(S期中期)に阻害剤を加えました。すると,それまでに発生した生残率が増加を停止し,5時間ののち阻害を除くと再び増加し,対照をオーバーシュートするのです。つまりS期に起こる抵抗性は合成されたDNA量に依存するということになりました[5]。  放射線生物学の領域では永いこと細胞死の標的はDNAか,膜損傷か,という問題に悩みました。細胞遺伝学では放射線で誘発される染色体の異常が細胞死の原因になることは自明であるとされていたのですが,染色体異常と細胞死とのone-to-one relationを説明するのは困難でした。この実験結果はDNAが放射線の主要な標的であることを明確に示しています。この研究が米国のYearBook(1963)に採択されたことによって初めてDNA標的説は人びとに確認されたのでした。

細胞周期と生残曲線
  周期の間で生残曲線のパラメーターがどう変わっていくかを調べました。  図15に見られるように,有意な変化は外挿値よりむしろ傾斜,つまり平均致死量(Do,37%生残線量)です。当然0時間の分裂期細胞の感受性は最も高く,そのDoは82ラドです。4時間のG1期では感受性は顕著に低下し,Do値は2倍に達します。13時間のS期前半では感受性はやや高まっていますが,19時間のほぼG2期ではDo値はさらに増加しています。ここでは感受性の高まるG1−S移行期が調べられていませんが,300ラドの生残率(図12)から推定することはできます。このDo値の変動からも二峰性の感受性変動は明らかです。  これだけのDoの変化がランダム集団の中に存在するとすれば,Puck教授の見せたHeLa細胞の生残曲線になにがしかの変曲点が表れても不思議ではないと私は思いました。それで1周期を10グループほどの細胞集団に分け,その各々の外挿値とDoを仮定して,大学に当時たった1台の電子計算機でかき混ぜて生残曲線を描いて見ました。  図16の式のDiが各グループのDoで,2は外挿値の代表,Ciは各グループの画分です。ドットはその結果ですが,定規をあてがっても変曲点は見られません[4]。Puck教授がランダム集団の中に感受性の異なる分画を考えもしなかったのは当然かもしれません。

X線による分裂阻害と細胞周期
  X線の致死効果と並んで腫瘍細胞に対する進行阻害も放射線治療にとって主要な関心の一つでありました。図17には0時間(分裂期),4時間(G1期),14時間(S期),19時間(G2−M期)のそれぞれの細胞令で300ラド与えられたときの分裂の遅滞が観察されました。影付けされた部分は対照のS期を示しています。G1期の損傷では遅延は少なく,S期以降の損傷は大きな遅延を起こします。顕著なことは,0時間の分裂期に起こされた損傷はその分裂に何らの影響も与えませんが,しかし,その後の周期内進行が大きく遅れ,次の分裂が完了しない細胞,あるいは分裂時に崩壊してゆく細胞が多いことです。そして次の分裂を完了する細胞の数は図12の生残率にほぼ比例しているはずです。  図18に見られるように,ラド当たりの遅延時間(縦軸)を細胞周期(横軸)の関数としてとると,G1期に分裂遅延は最も少なく,その後は細胞令の増えるとともに大きくなり,M期(0時間)損傷に近づきます。ここでは測定されていませんが,1〜2時間のG1期にある細胞の損傷は4時間よりさらに分裂遅延が少ないものと思われます。そして生残率のような二峰性のレスポンスは見られません[4]。

X線の進行(progression)阻害とDNA合成への影響
 図19は採集されたM期細胞がX線損傷を受けたときの,引き続く周期への影響を示しています。前項でも触れたように,最初の分裂期は遅滞なく完了してしまいます。後に述べるように,分裂期にはX線損傷を修復する機構が働かないからです。上図はS期細胞の比率で,DNA合成期の位置を示します。対照のG1期(上図白丸)と比べて損傷された細胞(黒四角)のG1期は殆ど影響を受けませんが,S期は延長します。中図はチミジンでパルスラベルされた細胞のオートラジオグラフィ上のグレイン数,つまりDNA合成率の経過で,損傷細胞では合成率の著しい低下(黒四角)があり,上図のS期の延長に対応しています。下図は細胞数で,その後の同調分裂の著しい遅延が見られます。  図20ではG1期にX線損傷を受けたときのG1期の短縮(上図,黒三角; このS期の促進は説明されていない),S期で損傷されたときのS期の延長(上図,白四角),それらのDNA合成率への影響(中図),またその後の分裂の遅延の程度(下図)が分ります[4]。これらを次項でまとめてみましょう。

放射線損傷と細胞周期
 1960年代では,前の二項目の私たちの説明はほとんど細胞周期の中の動態を述べるに留まりましたが,1980年代に入ると酵母の遺伝学が細胞周期に関わって著しい進歩を見せました。そしてHartwell, Huntという研究者たちが細胞周期の調節機構に関してノーベル賞を得たのは2001年のことです。  哺乳類細胞の周期の制御はCell Cycle Engineと呼ばれる一群の統合された遺伝子の働きによるのです。細胞周期のそれぞれのステージはサイクリンという蛋白とcdc2というプロテインキナーゼの二量体がリン酸化と脱リン酸化のカスケードを介して周期の進行を支配しているのです。その支配の仕方は各期の終りにrestriction point/checking pointという関所をもうけて各期の完了の報告を受け,次の期に入る資格審査をしているのです。それがcyclin-dependentなキナーゼの活性制御という形で行なわれているのです。その目的は次世代への遺伝物質の正確な複製,伝達,分配なのでした。  図21はHeLa細胞の同調培養の実験から得られたデータの模式図です。そのAはcell cycle engineの正常の働きによる周期を示しています。  Bのように分裂期にX線損傷が起こされると凝縮したクロマチンではdown-stream-eventsが働かず,損傷検出も修復力も働かず,したがってM期は延長することなく修復不能損傷をもったままG1に入ります。ここでは修復の時間はあっても修復不能損傷はそのままです。HeLa細胞のような腫瘍細胞,あるいは培養系(cell line)ではp53の変異によって,正常では働くはずのrestriction pointが機能しないので,G1蛋白さえできれば著しい遅延なしにSに入ります。ここでも深刻なDNA損傷は修復,複製ができず,あるいは異常DNAを作り,複製完了のサインが遅れてS期遅延は最大です。G2でも同じくで,異常DNAのため遅延し,おそらくM期を立ち上げるMPF(maturation promoting factor)の発現が遅れ,異常DNAの凝縮は悪く,結果としてG2は延長します。Mに入ると後期のspindle assembly check pointの働きにもかかわらず動原体への紡錘糸の接続異常が発生し,そのため架橋形成,多核形成,欠失などの不平等分離,染色体異常を生起し,生残率は最も低くなります。  G1初期で損傷を受けると(C,上),クロマチンはすでに分散してDNAは活性化してますから損傷の修復は可能で,図20に見るようにDNA合成率もS期時間も,その影響はミニマムであり,したがって生残率は高いのですが,G1後期の損傷(C,下)はG1 cheking pointが働かないこのHeLa細胞では修復の余裕なくSに入ります。ために損傷はそのまま固定され,異常複製DNAが生じるでしょう。したがってSもG2も延長し,Mに入るとM期損傷(B)の場合と同じくM期事象(たとえば核膜内側のラミナという構造蛋白のリン酸化,核膜崩壊,ヒストンH1のリン酸化に継起する染色体の凝縮,あるいは分裂極の分離,紡錘体形成など)の異常が生じ,とくに中期,後期のspindle assembly check pointで困難が起こり,染色体異常の発生で生残率は下がります(模式図は巧く対応されていません)。  S期で損傷を受けると(D),損傷DNAの修復に時間を取りつつも,すでに複製したDNA量の増加とともに修復力も働き,遅延しながらもS期は終了し,しかし修復はG2まで続くでしょう。そのためG2期はかなり延長しますが,修復の効果で染色体異常は少なく,図12にも見るように生残率は高まると考えられます。  G2期の損傷(E)は修復のためcyclin B-cdc2の働きが遅れ,著しいG2延長を生じます。損傷はMに持ち越されるためでしょうか,生残率は中程度に低下する,と考えるのです。  以上を近年の知見のもとに要約すると,X線損傷の周期依存的な発現は 1)DNAの高次構造,2)DNA損傷修復力,3)DNA複製量,4)染色体分離機構などが関与していて,これらが細胞周期を統御する周期駆動機構(checking pointなど)の働きで修飾されているものと考えられます。

哺乳類細胞のX線レスポンスの普遍化
  1961年に私たちによって同調HeLa細胞で見出されたX線生残率の二峰性パターンは,まもなく他の哺乳類培養細胞系(腫瘍細胞を含めて)で一般化されました(図22)。どこの国の放射線医学の教科書にも,細胞の回復現象とともに語られるようになりました。しかし放射線治療の成果には少しも反映してはいません。とくに近年の治療は粒子線の利用に傾いています。細胞内の分子をイオン化して作用を表わすX線と違って,粒子線は局所的に大きなエネルギーを与える(高LET放射線)ので修復不能損傷が多くなり,周期依存性の感受性変動はミニマムになります。それは修復系や周期を統御するメカニズムの入る余地が少なくなるからです。この傾向は放射線治療にとっては良いことです。  抗がん剤や細胞毒性物質の細胞周期における効果を私たちの研究グループが調べたり,他のグループの結果を調査したりすると,また異なったことも分かってきました。図23を見てください(データは薬剤の濃度にもよるので,やや恣意的に転写しました)。ネオカルチノスタチン,マスタード類,ニトロソウレア類,ブレオマイシンなど放射線作用類似物質のパルス処理によって細胞周期の間でちょうどX線と同じような致死効果が生じることが分ります。これらはX線と似たようなDNA切断,塩基損傷などを作るからだと思います。  これらに対して図24に挙げた薬剤,たとえばヒドロキシウレア,カンプトセシンなどDNA合成阻害剤の細胞致死効果はS期細胞にとくに修復不能の損傷を生ずることが分ります。コルヒチンのような分裂期の紡錘糸形成阻害に関わると知られている薬剤もS期毒性を示しました。  図25に模式的に描かれた生残率のパターンから見ると,このヒドロキシウレア型はX線型と相補的なパターンで細胞の増殖力に損傷を与えるようです。こうした知見の蓄積も放射線や薬剤の併用に多少の理論的根拠を提供するかもしれません[11,12]。

同調培養で何ができるか
 同調集団を用いると,ランダム集団で得られる知見と比べてはるかに大きな分解能のもとに,細胞の形態学や生理学的,生化学的事象を調べることが出来るでしょう。とくに外来性作用体,たとえば放射線,薬剤,ウイルスなどに対するレスポンスを知ることができます。ここで発見された周期内感受性変動のようなものです。しかしHeLa細胞や多くの腫瘍細胞と違って,正常細胞の培養では分裂期は間期細胞に比べて付着力の差が必ずしも大きくないので,同調培養は困難です。

終わりに
 細胞周期に連動して起こる放射線感受性の変動にはDNAの一次損傷とその発展の過程で起こる複数の要因が関わっています。一つには,分裂期におけるようなクロマチンの凝縮,トランスクリプションや修復力の不在であり,またDNA合成期におけるDNA量の増加,ここでは述べられなかった細胞内非蛋白SH量の変化[10],のような増殖機構の構造的,機能的あるいは構成分の量的な変化に依存しているのです。第二としては,近年の研究で明らかにされつつある細胞周期駆動機構(cell cycle engine)に起因するdown stream events, 例えばdamage surveillance, check-point function, 損傷修復系などの影響によるものであります。  哺乳類細胞における放射線の主要な標的がDNAであることを明確にしたという点で,同調培養での研究は放射線生物学における歴史的意義があったといえましょう。私自身はこれを古典生物学の最後の研究の一つぐらいに位置付けています。  協奏曲が出だしで決まってしまうように,同調培養もスタートが流れるように行かなければなりません。細胞へのショックを避けるため分裂期細胞の採集とその接種はすべて37℃の部屋で行なわれます。そのとき私は鉢巻こそしませんが,メアリー以外には誰にも返事一つしません。レナードもそれを見ると皆を制してさっさとオフィスへ引き上げます。実験の成功が欲しいのは勿論ですが,失敗で失う金が惜しくもあるのです。細胞の一周期は,細胞にもよりますが,ほぼ一日です。実験が開始されると30〜36時間は休むことができません。毎週2回の実験を組みましたが,それを2,3ヶ月続けると,なんと皮肉なことに自分のほうが細胞に同調していることに気が付きました。実験をしながら,この同調培養が人びとにどう受け取られるかは大いに心配でした。しかし10年の後,PuckやHayflickらと並んで細胞生物学のbenchmark collectionに入ったのは嬉しいことでした。また競争の激しいアメリカの世界にはいくつもの剽窃と無視があったにも拘わらず,私たちの成果への言及は30数年も続いていることによって報いられました。それと同時に,スタンフォードのthe late Prof. H. S. Kaplanの学問の上での深い恩顧には十分に応えられなかったという苦痛と悔恨も私個人には残っています。  私はこのような古い話にも機会を与えてくださった寛容な千葉医学会に心から感謝しています。お礼に,私の生活の中で得たものを一言遺させて頂きます。  私は研究所に永らく暮らしていて,研究者にとって何が必要か,という点についていろんな話,忠告,勧めをしてきました。ベッドサイドの医師にとっても事柄は少しも変わりません。それは自然に正しく対峙することなのですから。その心構えとして,私ども日本人にとって意味のありそうなことを三つほど申してみましょう。  一つは腕力です。私はゲバルトなんて今では流行らない言葉を用いましたが,腕力とか暴力とか,アメリカだったらブローニネスとか云うかもしれません。筋骨隆々です。写真1は始めに申したT. Puck教授(左)です。頑丈な,タフネスの表れた姿です。哺乳類の細胞だって栄養要求さえ満たしてやれば微生物のように生える,という理念で多数のアミノ酸,ビタミン,成長因子などを培地にして,ついにクローン技法を開発したのです。当時日本でやっていた組織培養ではとても太刀打ちはできませんでした。そのPuck先生もPDGFだけは発見できなかったので,半合成の培地でした。右はC. Borek博士で,ディッシュの中の細胞に放射線を照射して放射線発がんを実現し,イスラエルからアメリカに乗り込み,20年近くも学界をリードしたのです。そのシンプルな仮説の実現は腕っぷしという他ありません。どちらもブレークスルーという言葉の通りです。勿論,それは正しい論理に裏打ちされてなければなりませんが。  二つは「貧しい心」です。パリサイびとのように予断をもってイエスに問うても神の言葉を聴くことはできません。私の研究所のセミナーの中でLajtha教授(血液学,マンチェスターがん研所長)は予期しないデータを示したあとで “Nature is a truthful lady” と云いました。自然は嘘をつかないのです。結果が期待に沿わなかったため,この実験はなにか操作上の間違いを犯したのだ,と思って,無意味な繰り返しをするあなたの心が間違っているのです。これは私自身の経験でもありました。期待されない結果の出たときこそ私たちは発見の入り口に立っているのです。こだわりなく,素直に,自然の声を聴くことは研究者の資質として非常に大切です。虚心坦懐という言葉があるくらいなので,何も日本人にとっては特別なことではないはずです。  三つは,これは文化に関わることかもしれません。私にはとくにアメリカ人との生活の中で感じたことです。それは “distinctive is beautiful” です。アメリカ人はショーオーフと思われるくらい,ひとと異なる主張をします。同じことを云わない気質,習慣があるようです。教育のせいでしょうか。ひとと違うことを考え,ひとがやらないようなことをやらなければ,本当に新しいことにはなりません。ひとがやらないようなこと,−−−それはimpossibleだと思われることです。これはレナードと生活していて言外に教わったことでした。これをやればすぐ新しいことが分る,という先の読めた研究はだめです。同じことを皆がやっているからです。頭のよい人ほどこうなりがちです。Alfred Brendelというピアニストは「芸術家はimpossibleだと思うことをどうしてもやらなければならないときがある」とTVインタビューで云ってました。バッハはお子さんでも弾けますが,Brendelはそうはいきません。破滅する覚悟でやらなければ創造,creationにはならないのです。  終りに,私にとっては知を尊び,人間の力を信じ,勧進帳に涙を流す情緒の深い兄貴分,レナード(写真2)を紹介させて頂きます。

謝  辞
 半世紀も前の話を書いて,お役にも立たないと心を痛めています。放医研の中嶋さん,千葉大学分子ウイルスの白澤教授,小湊さんに図表を作って頂き,ご親切に深く感謝しています。

(無断転載を禁ず:千葉医学会)
 
   
  腰椎変性すべり症に馬尾神経鞘腫を合併した1例
佐久間毅 大鳥精司 高橋和久 大河昭彦 青木保親 橋本光宏 男澤朝行 齋藤朋子 土屋 敢 守屋秀繁  千葉大学大学院医学研究院整形外科学


 馬尾神経に生じた神経鞘腫と腰椎変性すべり症が同一高位の神経根症状を呈した症例の報告は我々が調べ得た限りない。我々は55歳女性のL4レベルに生じた神経鞘腫とL4腰椎すべり症が同時にL5神経根を圧迫した症例を報告する。脊髄造影検査にてL4椎体後面に馬尾神経を圧迫していた腫瘍を認めた。脊髄造影後のCTでは腰椎すべり症によってL4の下関節突起がL5神経根を圧迫していた。この症例に対しL3からL5の椎弓切除術,腫瘍摘出術及びL4/5に対してペディクルスクリューと自家骨を用いた後方固定術を行った。術後,両側L5神経根の症状はすぐに消失した。病理学的には良性のAntoni type Aのschwannomaであった。今回の症例は同一高位で神経鞘腫と腰椎変性すべり症がL5神経根を圧迫して神経症状を生じた1例であった。
 
   
  S状結腸絞扼性イレウスの1例
1,2)阿久津泰典 2)松原久裕 1)遠藤正人 1)星野敏彦 1)吉永有信 1,2)太田義人 1)角田洋三 2)宮澤幸正 2)浦島哲郎 2)川島太一 2)落合武徳
1)埼玉県厚生連熊谷総合病院外科. 2)千葉大学大学院医学研究院先端応用外科学.


 今回我々はS状結腸絞扼性イレウスの1例を経験したので報告する。症例は40歳の女性。腹痛を主訴に当院に緊急入院となった。腹部レントゲンで拡張した大腸ループ像を認めた。造影CTでは捻れ像をともなわない二重に拡張したS状結腸を認めた。開腹手術にて子宮とS状結腸との間の癒着性のヒモに起因するS状結腸絞扼性イレウスの診断となった。S状結腸に発生する絞扼性イレウスはS状結腸軸捻症との臨床像が類似していることから診断が非常に困難である。しかし虚血を引き起こす病態であり,早期診断と早期開腹手術が必要であると思われる。本疾患の報告はこれまでになく自験例が1例目であったので,文献的考察を加え報告する。
 
   
  亥鼻分館所蔵・医事文化資料について
樋口誠太郎
千葉敬愛短期大学


 医事文化資料というと,その範囲はかなり広く,多岐に亘っていると考えられる。  亥鼻分館に収蔵されているものも,直接医療に関したものから世事,不思議,怨霊などを描いたものまで,さまざまなものが収集保存されている。これらを大別すれば,絵画資料と文字(文献)資料に区分することができる。  当館の医事文化資料で注目をひくのは,民間医療に関する「医療習俗」であろう。現時点で見ればなんのことはない一枚の絵が江戸時代末期疱瘡除けの習俗を伝えるものであったり,江戸時代から明治前半期にかけて,多くの薬物販売の広告が収集されているのを見ると当時は医師にかかるより薬を買って服用するのが病気を治す第一歩であったことが,これら広告の宣伝文によく表われている。  本文では,これらをまとめてとりあげたが,「くすりと広告文」だけでも一つのテーマとなるほどであるので,ここでは代表的なものを選んでとりあげた。  文字(文献)資料はさまざまなものがある。ここにとりあげたのは「コロリで死んだ役者が生きかえった」という不思議に,信仰による現世利益を伝えるものや,明治5年当時の木更津県(現・千葉県)が出した「育子告諭」のような貴重な文献資料の存在を紹介した。  また,これらの特色を総体的に見ると,絵と文字が一枚の資料の中に入っていることで,当時の人々の識字能力というのは,かなりのものであったということが判る。  今回本稿では,亥鼻分館に収集された資料のガイドラインを紹介するものである。
 
   
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